爆心地から1~1.5キロ未満

爆心地から1~1.5キロ未満では、約半数の人が死亡した。

爆風や熱線による外傷を免れても、放射線の影響で亡くなった人もいた。

長崎大学 原爆後障害医療研究所 資料収集保存センター 横田 賢一 特命助教「(無遮蔽の場合、爆心地から)1.5キロで1Gyという放射線量になります。それ以上であれば、さまざまな放射線による急性症状が出るというのがわかっています」

死亡した人の80%に発熱、67%に下痢の症状があった他、近年の研究で、嘔吐や出血、口内炎、頭痛、脱毛、腹痛、めまい、意識障害など、さまざまな症状が複数出ることがわかってきた。

14歳の時、爆心地から1.3キロの照円寺の軒下で被爆した寺井 眞澄 さんは、かすり傷程度のけがで済んだが、しばらく経ってから異変に襲われた。

2005年の証言・寺井 眞澄 さん(当時74歳)「被爆して2週間ぐらいじゃなかったかと思いますが、急にが出まして、で、下痢、それから、腕に斑点が2か所ですね、それから髪の毛が抜けるというような症状が続きまして、あぁ、これでもう俺は死ぬんだと」

横田 賢一 特命助教「放射線に対してどのくらい遮蔽がきいていたかによって大きく違ってきますが、例えば(木造の)日本家屋内にいた場合、あびる放射線量は(無遮蔽の場合と比べて)半分ぐらいになります。それでも十分な(放射線量の)高さがあると、急性症状が出ることが考えられます」

爆心地から2.1キロ未満

長崎大学 原爆後障害医療研究所 資料収集保存センター 横田 賢一 特命助教「(爆心地から)2.1キロくらいまでの間が、後のがんの増加が見られます。典型的なものとしては白血病が、明らかに放射線被ばくとの関係があると。その他のがんについても勿論、被ばく線量に応じてリスクの増加が見られてまして、観察期間が長くなれば、色々ながんが関連しているというのがわかってきている状況です」

9歳の時、本原町の自宅の縁側付近で被爆した出口 輝夫 さんは、健康不安から、先のことを考えられない人生を歩み続けた。

1998年の証言・出口 輝夫 さん(当時62歳)「私の父もね、やっぱりがんで亡くなりましたから。私もがんはある程度覚悟はしとるんですけどね。そしたら(3年前に)目の下のほくろがですね、私には普通に見えるんだけれども、間違いなくがんですと」

「20歳の時代に『何歳まで生きられる?』って聞かれていたら『そうね、あと5年は大丈夫やろ』って言ったと思うんですよね。もうずっとそれの繰り返しですから」

科学的知見と証言を照らし合わせると、長崎原爆が、どのような兵器で、何を引き起こしたか、浮かび上がってくる。