2004年、突然の殺人告白

ところが事件発生から26年後の2004年8月、当時の警備員Aが突然、警視庁綾瀬署に出頭してきたのです。Aは「石川さんを殺して自宅の床下に埋めた」と自供しました。

Aは決して「良心の呵責から」出頭したわけではありません。

道路の拡張工事で自宅が取り壊されるので、遺体が出てきて面倒なことになると思っただけでした。

床下に遺体を埋め、その上の畳敷きの部屋で、Aは過ごしていました。

警察が元自宅を捜索したところ、床下約1メートルの場所から、防水シートに包まれた白骨化した遺体と石川さんの所持品が見つかりました。DNA鑑定の結果、遺体は石川さん本人と判明したのです。

公訴時効の成立

事件についてAは「肩がぶつかって口論になり、衝動的に殺害した」と供述しましたが、穏やかな性格だった石川さんがそんなことで命を奪われるはずがないと、遺族は疑問を呈しました。

事件当日は夏休みで学校には目撃者もまったくいませんでした。

ところが、当時の法律では、殺人罪の公訴時効は15年。事件もすでに時効が成立していたため、再捜査はおろか、刑事責任を問うことすらできませんでした。

容疑者Aからは一言の謝罪の言葉も出ませんでした。

殺害を告白したAは、マスメディアの取材に対しても「時効は成立している」と嘯くばかり。最後まで謝罪をすることはありませんでした。

そして、事件の真相は闇の中に葬られたのです。