あの日から15年、忘れてはいけないという想い

――まもなく東日本大震災から15年を迎えます。

山寺宏一さん
「当時は東京のスタジオで収録をしていました。確かディズニー作品関係の収録だったと思いますが、大きく揺れまして。古いビルだったので、すぐに避難してくださいと。外に出たらさらに大きく揺れていて、当初、これは震源地は東京だろうと思いました」

しかし、その後の報道で震源地が宮城だと知り、ぞっとしたと言います。「これは大変なことになってしまった、と感じたことを今でも忘れないですね」と当時を振り返ります。

すぐに実家へ連絡したものの「けがなし」という4文字の返信があったきり、しばらく連絡が取れなくなってしまいました。

山寺宏一さん
「帰りたかったんですけど、なかなか帰れず。初めて帰ったのは2週間後でした。仙台にいる友人から、石巻のある避難所で物資が滞ってしまっていると連絡が来たんです。東京で仕事をしている仲間に声をかけて、トラックで色々なものを積んで行きました」

その帰りに、ようやくご両親の顔を見ることができたと語ります。「それまではなかなか行けなかったし、行くべきではないのかなという思いもあって」とその胸中を明かしました。

――復興に向けて歩んできたこの15年という歳月を、どのようにご覧になっていましたか。

山寺宏一さん
「やはり地元の方々の努力はすごいなと思います。世界中からの支援があってこそだとも思いますが、ある意味、あっという間の15年でもあり、すごく長かった15年でもあるんだろうなと」

自身も支援活動を続けてきたものの、「こちらに住んでいるわけでもないし、時間の許す限り来ているだけ。本当の状況は僕には分からない」と謙虚に語ります。

山寺宏一さん
「今思うと、何もできていなかったんじゃないかとすごく思うんです。時々、当時自分で撮った映像や写真集などを見返すようにしています。もちろん、当時の様子を見るのが辛いという方がたくさんいらっしゃることは分かっています。でも僕の場合は、忘れちゃいけないと。東京にいる時間が長いものですから、忘れてしまってはいないかと。自分の戒めにもなるので、時々見なきゃなといつも思っています」