「友達を売らなくて良かった」石を砕いて運び続ける過酷な監獄生活
7年の刑期を終え、ようやく釈放される直前、看守が周さんにある取引を持ちかけた。
「来週家に帰してやる。ただし条件がある。いま同じ部屋に監禁されている仲間で反政府的な言動をしたやつの名前を一人でもいいから教えろ。そうすればすぐに帰れる」
「私は一言『知らない』とだけ答えました。その言葉だけでさらに1年半、強制労働をさせられることになった。人生で一番きつい1年半でした」
「知らない」。この一言だけで裁判も経ず、小琉球という離島に送られた周さん。そこでは、浜辺で岩を砕いて運ぶという、何の意味もない、ただ政治犯を苦しめるための虐待を延々と強いられた。この作業が午前と午後に3回ずつ、毎日続いたという。

当時を振り返り、周さんは笑いながらこう話した。
「仲間に反政府的な人間がいないはずはないが、あの時誰かの名前を口にしていたら、仲間は死刑になっていたでしょう。そうなっていたら、私は一生涯後悔し、苦しんだはずです。本当に、友達を売らなくてよかった」
過酷な服役生活を経験してもなお、共産党思想を信じたことは間違っていなかったと語る周さん。ただ一つだけ後悔があるという。
「私が捕まったことで、母が心配のあまり脳卒中で倒れ、早くに亡くなってしまった。私は一人息子なのに、17歳で捕まって8年半も帰らなかった。心配をかけた。これが唯一の心残りです」
戒厳令下の台湾では、周さんのように「反政府思想」の持ち主とされた人々が次々と逮捕され、その数は数万人に上るとされている。
政府による徹底した弾圧や思想統制が行われたこの時代、国民党は自分たちに都合の良い歴史しか教えず、自由な歴史研究も許さなかった。














