激動の時代を生き抜いた周さんが、いまの日本人に伝えたいこと
8年半にわたる服役後、紡績会社や映画会社などで持ち前の日本語能力を活かし働いたという周さん。引退した今でも、年末には日本の紅白歌合戦の演歌を楽しみ、文藝春秋など日本語の雑誌を読み続けていると笑顔で話す。
日本統治時代に生まれ、戦後の混乱した台湾を生き抜いてきた周さんが、いま日本人に伝えたいこととは。

「日本に対する印象は礼儀正しい、親切、それから清潔。
ただあの時の日本の帝国主義、あれはまずい。他国を侵略して、人を殺して、あんなことはもう二度とないようにして欲しい。そう思っています。
自国の利益のために他国を犠牲にするような極端なことは、絶対にするなと。もっと道徳を重んじ、人々の本当の幸せを考えてください、と伝えたいのです。
大切なのは、とにかく友好と平和。決して自分が強いから力を振りかざすのではなく、親しい隣人として、平和で平等な関係を築いていくことを、私は心から望んでいます」
編集後記
日本人らしく振る舞うことを求められた日本統治時代。中国大陸からきた国民党に翻弄された時代。そして、長い戒厳令下で沈黙を強いられた時代。
周さんの人生は、まさに台湾が辿った激動の時代そのものだった。これまで自らの歴史を自由に語ることさえ許されなかった台湾は、今ようやく自分たちが歩んだ歴史を一歩ずつ見つめなおす旅を始めたのかもしれない。
日本と切ってもきれない歴史的結びつきをもつ台湾の人々が、自分たちの歴史をどう見つめ直すのか、私は隣人としてこれからもその歩みを見つめ続けたい。
JNN北京支局 室谷陽太














