12月9日公開の映画『ラーゲリより愛をこめて』。終戦後に旧ソ連の捕虜となり、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に亡くなった山本幡男氏と、厳しい監視をかいくぐって驚くような方法で遺書を家族に届けた仲間たち。実話のルポルタージュの映画化だ。
「ラーゲリ」はロシア語で「キャンプ場」のことを言うが、「強制収容所」の意味でも使われる。旧ソ連の独裁者スターリンの指示で、約57万5000人の元日本兵らが抑留され、国際法に反して強制労働させられた。約5万5000人が命を落としたとされる。

■だまされてシベリアへ…抑留経験者語る「あきらめ半分、希望が半分

横浜市に住む新関省二さん(96)は、整備兵として満州の飛行場にいた時に終戦を迎え、シベリア西部の炭鉱の町 レーニンスククズネツキーの収容所に入れられた。


「だまされてね。ダモイ(=帰国)だ、日本から船が来ると言われ、1500人単位で貨車に乗せられたんだけど、行けども行けども港に着かない。やっと大きな海に着いたと思ったらバイカル湖だった。そこで捕虜になったと気づいたんですよ

ドイツ人捕虜と入れ替えで収容所に入ったが、衛生状態が悪く、最初の2か月は毎日のように仲間がシラミによる発疹チフスで亡くなった。

「朝起きて見たら(仲間が)冷たくなっていて。最終的に10人に1人が亡くなったんです」

シベリア抑留者は木材伐採、鉄道建設、炭鉱掘削などの過酷な重労働に従事させられたが、それでも新関さんたちは比較的恵まれた環境にあったという。


「炭鉱でノルマの2倍の石炭を採掘すると『日本人は凄い』ということになって。食糧の配給が増え待遇が良くなったんです。我々は大事な労働力だったから、乱暴されたこともなかった」

ただ、自分が捕虜であることは絶対に忘れなかったですよ。いつかは帰国できると。あきらめが半分、希望が半分」