いよいよ、3年ぶりに開催されるNAHAマラソンこのときを待ちわびていた人がいます。

「マラソンの喜びというのは、幸せを勝ち取りたいという強い意欲情熱、だからゴールした時の喜びは大変なものですよ」

當山清勝(トウヤマ・キヨカツ)さん79歳。當山さんの自宅には、これまで出場した大会のメダルやトロフィーがずらりと並べられています。

當山清勝さん(79)
「金メダル、高雄のマラソン。順位は3位だったけどメダルは金だった。これは東京の練馬のマラソン大会だったと思う、これは久米島マラソン」
 Q県内だけでなく全国?
「全国です」

しかしここにNAHAマラソンのメダルはありません。

QNAHAマラソンのメダルが見当たらないんですが
當山清勝さん(79)
「NAHAマラソンのメダルは屋上の近くに階段のところに」

こちらのスペースがNAHAマラソンのメダルエリア。

當山清勝さん(79)
「宝物です、私の人生の、マラソンの人生の宝物。自分の足で情熱で稼いだんですよ」

1985年の第一回NAHAマラソンが初めてのフルマラソン。
當山さんはそこから35回大会全てを完走し、ことしも連続完走をめざす最高齢ランナーです。

當山清勝さん(79)
「私はマラソンの神様を信じていますから私が一生懸命に練習しているとマラソンの神様が助けてくれる。40回までは走りたいという目標はあります」

コロナ禍で大会がない期間も練習を続けてきたと言います。

當山清勝さん(79)
「そうしないと、体が衰える、筋力体力が衰えていくからと同時に心理的にも弱気になっていくから、だから大会の再開を期待して続けていたわけですよ」

1週間で50キロは走るという練習メニュー。日々活動を続ける理由には様々な人生訓があります。

當山清勝さん(79)
「走る力というのは、走る意欲、情熱、走る技術や体力、こういったのを普段の練習で培って、そのことが生きる力にもなる。生きがいだね、生きがいはいろいろあった方がいいけど、マラソンはいわば背骨みたいなもので」

そうして全47都道府県のマラソン大会を走破した當山さんはその人生を記した本まで出版!大会で感じた思いを、替え歌にして、綴っています。

ただ全国を走り回ってもNAHAマラソンは特別な存在だといいます。

當山清勝さん(79)
「こんな大きい大会、全国的にもあまりないです。そういう熱気と同時に沿道の応援団が素晴らしい、途切れることなくずっとゴールまでウチナーンチュのチムグクルだな。素晴らしい」

沿道の応援を力に、當山さんは36回目の完走を誓います。

「人事を尽くして天命を待つということから、とにかく自分でやれるだけ一生懸命やれば、あとはマラソンの神様が助けてくれる、そういうことを信じたい」

ランナーの背中を押す、毎年大会を盛り上げてきた沿道の熱い応援。応援する人たちにとっても、今年の大会には特別な思いがあります。

Q出そうかどうしようか迷いもありました?
ケーキの店Duo 與那覇 政儀 店長
「ありました、事務局にも結構問い合わせをしたんですけど、すみませんけども、参加させてくださいと」

NAHAマラソンの定番の風景となっていた南風原町のケーキ店Duoが出す、ロールケーキ。

大会ではランナーたちが行列を作るほどの大人気の差し入れメニューでした。

「うまい!ヤバい!!」

與那覇店長
「すごいですよ、皆さん言われるんですよ。ありがとうって言われるのがすごく良くて毎年続けているのかなって感じです」

南風原特産のカボチャを練りこんだ津嘉山ロールは大会がない期間も、ジョガーにとって忘れられない味でした。

與那覇店長
「NAHAマラソンがある時期に来られるんですよ、ランナーの方が」
Q大会はないのに?
「ないのに。店の前でケーキを買って写真を撮って、同じようにありがとうと言って、また走っていくんです」

大会開催が決まると、ジョガーからの問い合わせはさらに増え、提供するお盆を小さいものにしてジョガーが密にならないようにするなど新型コロナ対策を徹底し今年も津嘉山ロールを提供することにしました。

與那覇店長
「(NAHAマラソンは)ちょっと特別な日です、1日こんなにありがとうを言われる日はないです。やっと、やっと走れるんですから応援しています」

応援する人たちにとっても、ジョガーにとっても待ちに待ったNAHAマラソン。走る喜びを感じて、いよいよ明後日その号砲が鳴らされます。