12月1日で20周年を迎えた東北新幹線八戸開業。青森県内初の新幹線駅舎として整備された八戸駅と八戸開業をシリーズで振り返ります。第1回目は県南の玄関口としての歩みです。


2002年12月1日、八戸駅には大勢の県民がつめかけ歴史的な瞬間を見守りました。

八戸駅に詰めかけた大勢の青森県民 2002年12月1日


※東保身 元・八戸駅長「緊張と寒さで震えていました」

出発の合図をする元・八戸駅長の東保身さん (2002年12月1日)


あの日、八戸駅長として大役を務めた東保身(ひがし・やすみ)さん73歳。

20年前の開業のことを振り返る東さん

※東保身 元・八戸駅長「開業は地元の応援があって、成功した」

開業初日、八戸駅長として乗客を見送る東さん


八戸駅が誕生したのは明治中期の1891年です。当時は、市町村合併の前で上長苗代村(かみながなわしろむら)尻内地区にあり、尻内駅(しりうちえき)として開業しました。

1891年に開業した尻内駅  (写真は1968年)

その尻内駅で購入した切符や定期券をいまも大切に保存しているのが地元の小関勉(こせき・つとむ)さんです。子どもの頃のなによりの楽しみは列車に乗って中心街へくり出し、映画を見ることだったといいます。


※小関勉さん(68)
「(列車で)八戸の中心街へ行って、自分の知らない世界を映画を通して見る。未知の世界への扉が、駅という気持ちがする」

小関さんが大切に持っている切符
小関さんの思い出の品たち


尻内の駅名が変更されるのは、八戸市へ合併した後の1971年でした。地元の住民は、東北本線の駅に「八戸」と表示することは市全体の経済発展につながると運動を展開したといいます。

駅名変更を知らせる掲示 (写真提供:八戸市立図書館)
当時の尻内駅構内の様子 (写真提供:八戸市立図書館)


※小関勉さん
「東京から来る人にすれば、駅へ降りたときに(尻内ではなく)八戸駅のほうが、すごくわかりやすい。やむを得ない。八戸の顔として八戸駅になってよかったと思う」


駅名の変更に続いて焦点となったのは、東北新幹線開業への対応でした。八戸から青森県南の玄関口へ。求められる役割は大きく変わりますが、整備はなかなか進まず、こう表現されるほどでした。