なぜ相撲?長崎くんちと西古川町の350年

行司:
「櫓太鼓ならびに弓取り式をけんし奉る」
西古川町が奉納するのは、櫓太鼓と本踊です。相撲ゆかりの演し物を奉納しておよそ350年。

江戸中期から明治後期まで、九州で唯一大相撲の本場所が行われていた長崎。その興行を取り仕切っていたのが西古川町でした。町と相撲との関わりを示す資料が残っています。


西古川町自治会長 岩永和之さん:
「天保十二年に西古川町の乙名衆の一人に(相撲)頭取を申し付ける、という文書ですね。今で言う委嘱状みたいなもんですよね」

中島川沿いの細長い町だった西古川町。昭和の町界町名の変更で3つの町に分けられ、今は、自治会としてその名を残すのみですが、くんちの舞台では、相撲どころとしての誇りを受け継いでいます。