コロナ感染症はなぜ2類から5類に?

(山本典良園長)
「コロナ感染症は日本において、欧米よりは遅れましたけど、令和5年に2類相当から5類になった。その時、オミクロン株だったのですね。ウイルス自体は変わらないのに、なぜ2類相当から5類にしたのかという論争が多分あったと思います。

なぜ5類になったか、理由を考えてみました。1番はね、社会経済活動を進めるため。2番は子供の健やかな成長を願うため。3番は医療費。全額公的負担が予算を圧迫するため。4番は保健所等の行政機関の業務量を軽減させるため。5番は軽症で感染が広がって問題がないためかなと。

実は、これってハンセン病と一緒なんですね。コロナ感染症は、2類相当から5類になった。ハンセン病も、治らない時は2類相当でいいです。でも、特効薬ができたら5類にすれば良かった。そこが問題だと思ったのです。

なぜ、現在の5類として対応できなかったのか。1つは、ハンセン病の専門家が『怖い病気と発信していたから』なのか。今、コロナの感染症の専門家は、コロナウイルスについてどういっていますか。『まだまだ怖い病気です。安心しちゃいけない』っていっています。

コロナ感染症の専門家で、『コロナ感染症は、もう感染してもいいですよ。どんどん広げてください』といってる人はいないですよね。ハンセン病と一緒なんです。専門家はどうしても自分の専門としている病気は、怖い方がいい。お金を取ってきたいから。

ハンセン病は、2類相当のままずっと行ったんですね。5類に移せなかった。ただ、小笠原登という先生がいた。光田健輔のちょっと下ですけどね。小笠原登先生はその当時、5類にしないといけないといっていた。

光田健輔が『ハンセン病はらい菌によって感染する病気であるから、いわゆるゼロコロナじゃないけど、ゼロを目指すために一生隔離すべきです』と。

小笠原登は『ハンセン病は遺伝ではなく、感染症。感染力が弱い慢性病で、体力の低下や遺伝体質によってうつることがある病気で、隔離を徹底しなければならない病気ではない』という。

これは『2類相当』対『5類』の争いだったのですけど、実際には、5類に移そうという気運が高まりませんでした」

国立ハンセン病療養所 長島愛生園