バブル崩壊の余波が色濃く社会を覆っていた1998年、一連の「総会屋事件」を契機に、金融・証券をめぐるスキャンダルが次々と噴出した。東京地検特捜部は、四大証券会社、第一勧業銀行の摘発に続き、ついにエリート官庁・大蔵省へ強制捜査のメスを入れる。
過剰接待による大蔵省「キャリア官僚」の摘発が目前に迫る中、突如として法務・検察上層部の方針転換が下された。優先すべきは「政界ルート」――。
そこで捜査線上に浮上したのが、「平成の坂本龍馬」を自称していた衆院議員の新井将敬だった。特捜部は、大手証券会社から押収した膨大な資料の「ブツ読み」を通じ、証拠を固めていった。
しかし、新井議員は一貫して疑惑を否定し、検察との「全面対決」の姿勢を崩さなかった。
――あの時、いったい何が起きていたのか。当時の特捜検事の“肉声”や取材記録をもとに、今だからこそ明かせる捜査の舞台裏を描く。
女性名義の「顧客カード」
1998年に起きた新井将敬 衆院議員をめぐる証券取引法違反事件。
東京地検特捜部検事の「政界ルート特命班」キャップだった粂原研二(32期)は、のちに一連の捜査を振り返ってこう回想している。
「私は、ある地方検察庁に勤務したとき、磯釣りを覚え、雪がちらつく真冬の磯の上で防寒具にくるまって夜を明かし、大物を狙って夜明け前から竿を出すなどという貴重な経験をさせてもらった」
「捜査は釣りによく似ているなあと思った。大海原に向かい、どこにいるか見ることのできない獲物を創意工夫して釣り上げる醍醐味を、若い検察官、検察事務官にも是非味わってもらいたいと思う」
まさに広い大海原にいる獲物は、不正を犯した国会議員だった。
国会議員という「国民の代表」を摘発することは、容易ではない。民意に支えられた政治家の刑事責任を問うためには、想像を絶する緻密な証拠収集と、極度の緊張を伴う捜査が求められる。
東京地検特捜部が新井将敬衆院議員の内偵に着手したのは、1997年夏のことだった。捜査の糸口をつかんだのは、SEC(証券取引等監視委員会)から復帰したばかりの特捜検事・粂原である。
総会屋事件で摘発した「野村証券」から押収した大量の証拠物を精査するため、粂原は日々「ブツ読み」に没頭していた。そのなかで、ある日、ふと一枚の「顧客カード」が目に留まった。名義は女性だった。
「捜査官の勘のようなもので、取引の金額がかなり多額だったため、引っ掛かりを感じたからだと思うが、その取引内容を調べてみようと思った」
その後まもなく、この女性が新井の親族であることが判明した。
捜査は一気に進む。さらにその親族女性の名義の口座、さらには親族の女性が代表を務める銀座の輸入品販売会社「ヴォーロ」名義の口座まで調査対象を広げた。
同社が運営する会員制クラブでは、新井を中心とした「B&B(ベスト・アンド・ブライテストから命名)の会」と称する「投資勉強会」が開かれていた。この会合にはベンチャー企業経営者のほか、総会屋事件で逮捕された日興証券のH元常務も出入りしており、「新井が株取引にのめり込んでいる」との情報も浮上した。
