シリーズ「昭和からのメッセージ」です。太平洋戦争では県内各地で空襲被害を受けましたが、焼け野原となった枕崎市では終戦の1か月後に枕崎台風が襲いました。空襲と台風を経験した男性の戦後80年の証言です。

映像は昭和20年3月にアメリカ軍機が撮影した、枕崎市白沢集落への空襲の様子です。

(宮内悦雄さん・87)「朝海岸の砂浜で遊んでいた。母親が大きな声で呼んだ。走って防空壕に入った」

枕崎市に住む宮内悦雄さん(87)です。7歳の時に空襲を経験しました。

(宮内悦雄さん・87)「もう焼け野原。燃えてるのが見える」

宮内さんの父・豊さんです。カツオ漁船で働いていましたが宮内さんが生後3か月の時、昭和13年に陸軍に召集されました。

その後中国で、橋や道路の整備をする部隊に配属。戦地から送ってきた手紙を母親のフミさんは大切に保管していました。

(宮内悦雄さん・87)「薬を送ってくれと書いてある。写真を送ったが届かなかった、大陸は広いから、あっち行ったりこっち行ったり部隊が移動する。今みたいにポストに入れたらぱっと届く時代ではない。この写真を見ることなく亡くなった」

父・豊さんは昭和13年、中国で、腎臓の病気で亡くなりました。29歳でした。

(宮内悦雄さん・87)「(母はかつお節を削るのが上手で)製造会社からいつも奪い合いだった。それで生活をしていけた」