甘かった予測、そして

後の調査で、安全対策の不備が次々と浮かび上がりました。報道関係者への避難指示は徹底されず、警察や消防への連絡も行われていませんでした。到達時間の予測は5〜6秒とされていたのに、実際にはわずか2〜3秒で押し寄せました。

夜を徹しての救助活動が行われましたが、15人の命が失われました。

崩壊の起点となったのは、丘の頂に残されていた固まりの弱い堆積物でした。狩野川台風で流れ込んだ土砂や工事残土が混在し、予期せぬ弱点となっていたと報告されています。

それでも実験は今に生きる

事故後、実験責任者ら2人が業務上過失致死傷の罪で起訴されました。しかし裁判所は「当時の学問水準では予測不可能だった」と判断。1987年、無罪判決が確定しました。

線状降水帯やゲリラ豪雨など、現在の方がリスクは増しているといえるかもしれません。

昭和30年代以降、集中豪雨による土砂災害が社会問題化していた中で、この実験は、科学的な根拠に基づいた安全基準を確立しようとした先駆的試みでした。
実験は悲劇的な事故に終わりましたが、その過程で得られたデータや教訓は、防災工学や地盤研究に大きな影響を与え、現在も災害予測や都市防災の基盤として生かされています。