当時の公営団地跡で映画のロケハン

映画の長崎のシーンでは、当時の公営住宅での暮らしが描かれます。原爆で壊された家は1万8,000戸にも及んだそうです。引揚者もいて、深刻な住宅不足になります。そこで公営住宅をどんどん建てていきました。イシグロさんが住んでいた地区の県営住宅は、解体されて今は存在しませんが、同じころに造られた「魚(うお)の町団地」が長崎市役所の近くに残っています。1949年に造られ、国内に現存する最古の鉄筋コンクリート製公営住宅のひとつです。

「魚ん町+」の外観

1948年に設計されたため、「48型」と呼ばれたタイプは、全国で1,700戸ほど建てられましたが、今では5棟(長崎市、広島市、下関市、静岡市2棟)が残るだけ。実は、この旧「魚の町団地」を監督が訪れて、これを参考にしてセットを作っています。

現在は、民間の「ココトト合同会社」が運営を受託して「魚ん町+(ぷらす)」という名前にして、スモールオフィスとして貸し出されたり、シェアキッチンが入ったりしています。映画の公開を前に、関係者は盛り上がっています。

「イシグロが見た長崎の原風景」見学ツアー

8月25日に開かれた、「カズオ・イシグロが見た長崎の原風景」と題した見学ツアーに参加してきました。現場でお会いした、長崎県観光連盟のフィルムコミッション担当、高村美保さんのお話です。

長崎県観光連盟の高村美保さん

神戸:魚の町団地は、どういう団地ですか。

高村さん:1949年に建築されて、当時では先進的な団地だったみたいです。

神戸:原爆投下から4年後。

高村さん:はい。全国にもいくつか残ってはいるんですけども、比較的「魚の町団地」は保存状態が良い団地と言われています。当時はみんなが住みたい団地だったのかなと思います。

神戸:そうだと思います、最先端で。まだ残っていること自体がすごいですね。

高村さん:はい、なのでちょっとレア感を広めていけたらな、と思います。

神戸:今、この建物の中には何が?

高村さん:民間の「ココトト」さんが直営でシェアキッチンとコワーキングスペースを運営されています。

神戸:古い建物に、若い世代が集まってくるような感じ。

高村さん:そうですね。地域の方にも集まっていただき、若い方とも交流してもらうような場所になれば。長崎県が保存・管理している部屋があるのですが、一般公開をしていないので、ツアーでぜひ見ていただきたいと思います。監督さんたちが見て映画の参考にされているので、映画が公開になったら「あ、ここなんだな」と、すずちゃんになったみたいな気分も味わってもらえたら。

当時の配膳台

福岡市にも古い鉄筋コンクリートの建物をリノベーションした「冷泉荘」がありますが、こちらは民間集合住宅(旧八木アパート)で、魚の町団地の10年後、1959年に造られました。