なぜ竹内さんは「キルギス」を支援することに?

なぜ今回はキルギスなのか。きっかけは、東京に住む男性との出会いでした。海外シニア協力隊として、キルギスで障害者支援をしてきた松田信治さん。3年前、松田さんのもとに一本の電話が掛かってきました。

(松田伸治さん)
「『JICAで松田が呼びかけている』というのが点字新聞【画像⑨】に載りまして。『点字タイプライターを送ってくれ』等活動していることを知って」

「そこで(竹内さんが)私に電話を掛けてきて、『向こうの視覚障害者事情を教えてくれ』と。そこからお付き合いが始まりました」

【画像⑨】

キルギスの視覚障害者を取巻く環境は、窮地に立たされていました。松田さんが支援していた当時の訓練学校も、資金難にあえいでいました。

(松田信治さん【画像⑩】)
「日本の30年~40年前の状況です。白いつえを持って歩く人も見られない。障害者年金が非常に少なく、日本から比べると10分の1以下で、皆さん苦しい生活を強いられていた【画像⑪】」

【画像⑩】
【画像⑪】

ソビエト連邦が崩壊 苦境に陥ったキルギス

もともとは、ソビエト連邦に属していたキルギス。都市や経済はソ連主導で開発されました。しかし1991年、ソ連は崩壊しました。

【画像⑫】

国が独立することで、キルギスの障害者たちは逆に窮地に立たされたといいます。製造業など主要産業はロシアに流出し、多くの視覚障害者は職を失ってしまったのです。

【画像⑬】

(キルギスの作業所で働く男性【画像⑭】)
「ソ連時代は、仕事も収入も安定していた。だけど今は仕事がほとんどないし、注文も時々しかない」

(キルギスの作業所の所長)
「ソ連時代は、それぞれの国々から注文を受け、それぞれの国に輸出していた。だがソ連が崩壊したため受注がなくなり、仕事がキルギス国内に限られ困り始めた」

「昔は200人がここで働いていたけど、今は10人しか働いていない」

【画像⑭】