法曹界はどう向き合ってきたか

(井上雅雄弁護士)
「今日のテーマからちょっとずれてしまったんですけども、法曹界という意味で言えば、入所者から九弁連に手紙が来るまでは、ほとんど何もできていなかった。

というよりも、特別法廷その他という形で加害者であるという風に思います。その手紙が来た後についても十分に我々の方で対応してこられたのかっていうのは反省点もたくさんあります。

先ほどの旧優生保護法の関係も反省点の1つであります。この中ではいろんなトラブルも起きていますし、様々反省しなくてはいけないことが続いております」

「法曹界といえば、裁判所、検察庁もあります。裁判所も先ほど言った特別法廷その他の、加害者の立ち位置にあります。

検察庁は菊池事件の再審請求を棄却しましたから、そういう意味でやっぱり法曹界全体としての問題に対して取り組む真摯な姿勢っていうのはまだいまだに見られていないという風に、感じています。

それから、もう1つ法曹界で言うと法務省もそこになりますけれども、本当に最初の裁判の時の国の代理人の対応はひどかったですし、さすがに家族訴訟の時は、全体として隔離政策に基づくものだったっていうのは認めつつも、反省というところまではいってないなという印象は受けております」

「私自身のことで言うと、弁護士になったのが1997年ですので、弁護士になって2年目にこの裁判が始まり、3年目からずっと今まで25年間ですかね、関わらせてもらっています。

本当に色々教えていただきました。中でもやっぱり、光明園の現地検証の時に、監房があるんですね。監房に行く道は、昔は船でぐるっと回ってきて、獣道を上がって監房に入れていたらしいんですけれど、現在は給水塔のある丘の上に一旦車を止めて、そこからちょっと100mもないですけども、かなり長い道を降りていく。そこの先に監房があるんです。

「監房を見せようという話が決まった後ですね、足も悪いし手も変形している入所者の男性が、ご自身で監房までの道の雑草を全部刈って綺麗にした。

当日行った時にもうびっくりしました。その前の視察の時はもうぼうぼうでしたから。こういうところを行かせるのもよかろうと思っていたんですけど、いや、もう驚きでした。本当に一緒に戦ったなという印象です。

ちなみに、その男性は、小浜市の出身で、小浜市の社会福祉協議会が、その男性を記念した演劇を作っておるんですね。それから、ミャンマーだったと思いますが、学校を建てられた。そういうような活動もされてきました」

「多くの方がすでに亡くなられていて、残念と言えば残念ですけども、長期にわたっていろんな形で活動させていただいてありがたいなというふうに思っています。

また、ハンセン弁護団のそれぞれの弁護士たちに色々教えていただいたこと、それから全国の方々に教えていただいたこといっぱいありましたので、もちろん国会議員とかもそうで、本当にこの裁判は、私のライフワークに近いのかなというふうに思っています」

「公開の原則を無視した法廷で死刑判決」井上雅雄弁護士が語る「ハンセン病はなぜ差別されたのか」第1回(全3回)