第二次世界大戦終結後、旧ソ連・シベリアに抑留されていた人たちなど、大陸から約66万人の日本人が引き揚げてきた京都・舞鶴市。舞鶴引揚記念館では、抑留体験者が自らの体験を語ってきました。しかし終戦後80年が経ち、実際に抑留された人はここにはもういません。

 そんな中、「体験者の言葉を未来につなげたい」との思いから、地元の学生が動き出します。AIを用いて体験者と“対話”できるシステムを作ったのです。まもなく訪れる“体験者なき戦後”に向け、いかに平和のバトンをつないでいくのか。新たな試みが始まっています。

日本兵ら約60万人 “極寒の地”シベリアなどで強制労働

 戦争末期、満州に侵攻したソ連軍は、武装解除した日本兵ら約60万人をシベリアなどに連行。森林の伐採や鉄道建設などの強制労働に従事させました。マイナス30℃を下回る極寒の地。寒さ・飢え・重労働という三重苦の中で、約5万5000人が命を落としました。

 京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館では、100人を超える語り部が、シベリア抑留について伝えています。

 (語り部 山下真由美さん)「食べ物って1gとか、ひとかけらだけでも死活問題なんです。ひとかけらでも多く食べたいというところで、日本人は器用なので天秤ばかりを自分たちで作っていた」

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 語り部の1人、山下真由美さん(53)。首元には、2つの名札がかけられています。

 (山下真由美さん)「私のお父さんで原田二郎といいます。亡くなって4年になりますが、語り部の先輩であり父です」