東日本大震災の津波で児童と教職員、84人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校で、紙灯籠を灯して亡くなった児童を追悼するイベントが開かれました。
主催した地元の若者たちは子どもの声が響くかつてのふるさとの姿を取り戻そうと活動を続けています。
今は誰も住めないふるさと・大川 「おかえり」誰もが帰って来られる場に

石巻市の震災遺構、大川小学校。
16日はお盆休みとあって県内外から多くの人が足を運びました。
訪れた人
「実際に見て、柱が折れているのとか。いろいろ想像して言葉にならない」
「山に逃げられなかったのかなとか、助かる方法はなかったのかなとか、すごく考えてしまう」
この日、大川小学校では「おかえりプロジェクト」が開かれました。

震災当時、5年生だった卒業生の只野哲也さんが代表を務める「Team大川 未来を拓くネットワーク」が毎年のお盆に合わせて、津波の犠牲となった児童と教職員を追悼しているのです。
Team大川 未来を拓くネットワーク 只野哲也代表(25)
「子どもたちがいるというのが僕らとしてもありがたい。この活動が続いていくには子どもたちが興味関心を持ってもらわないと」

14年半前のあの日、小学5年生だった只野さんは津波にのまれながら一命を取り留めたものの、祖父、母、小学3年生だった妹の未捺さんの3人を失いました。

震災の津波で一変した、ふるさとの大川地区。
震災を経てこの地域は災害危険区域となり、住むことはできなくなりました。
思い出の詰まったふるさとの未来まで悲しいものにしたくない。
只野さんたちは2023年から、校舎の隣の空き地に拠点を作り、にぎわいを取り戻す活動を進めています。

只野哲也さん
「人の声がもっと聞こえるような。言ってしまえば殺風景なので。ここにもっと家族や子どもたちの声が響くような空間になれば一番いいな」

この日はイベントに先立ち、訪れた人にこの場所で何があったのかを伝えました。
Team大川 未来を拓くネットワーク 佐藤周作副代表
「みなさん。県道のほうを見てください。手を振っています、只野哲也くんです。哲也くんはあちらのほうを目がけて先生たちと一緒に歩いていました。じゃあ哲也くん、こっちに走ってきてください。哲也くんは列の先頭のほうにいました。なにかが粉砕される、ここにいたらまずいと感じて、山に目がけて走ってきました」

団体ではこれまで只野さんが現地でのガイドを担当してきましたが、この日は共に活動する仲間にその役目を託しました。
