淡々と伝え続けた「サンデーモーニング」

編集部 そして関口さんは、俳優活動に続いて、テレビの司会者として引っ張りだこになりました。それの中でもやはり、関口さんの代名詞的な番組、「サンデーモーニング」が TBSで1987年にスタートしますけれども、どういったことがきっかけでこの番組は始まったのでしょうか。

関口 きっかけは、ある TBSの私の先輩にあたる人だけどね、「なんか日曜日の朝、ちょっと時間枠が取れそうなんだけど、なんかやりたいことないか」って言われて、「日曜日の朝なら、じゃあ 1週間を振り返る番組やったらどうですか」というのが、実現したというだけのことだよ。スタートは。

番組初期「関口宏のサンデーモーニング」時代

編集部 「サンデーモーニング」は、時の政権にやり玉にあげられるようなことがありました。

関口 ああ、放送法の問題かい?

編集部 いろいろ大変な時期だったと思いますけれども、関口さんはどんな思いで番組を出されていたのでしょうか。

関口 その放送法のことでもって、 時の政権なり、その近辺の人が動いている話は噂では聞いてますよ。だけど、じかに私のとこに何か言いに来た人はいなかった。だから、「じゃあ続けてよう」と。「いつもどおり続けて」と私は。

何かそこに、「あ、うち偏っているかな」とか、何とかってものがあればね、考えたかもしれないけど、そんな気はないからね。うちは、淡々と伝えるべきことを伝えているだけだから。

編集部 それから、コメンテーターだった毎日新聞の岸井成格さんが病で倒れ入院され、そのお見舞いに行ったときに、岸井さんは「たるんじゃったな、みんな」と仰ったそうですね。

関口 おお、言った、言った。

編集部 岸井さんはどういう思いだったのでしょう?そして関口さんはそれをどう受け止められたのでしょうか。

関口 うん。メディアがね、少しヤワになってきたというのか、それを岸井くんは指摘したんだろうと思うけど、全くその通りだなと思ったし、少なくとも、自分の番組は淡々と伝え続けようと思ったね。