1945年8月1日の午後10時半、アメリカ軍のB29が爆撃を開始。1時間40分に及び無数の焼夷弾が落とされました。市街地の8割が焼け、1489人の尊い命が奪われた「長岡空襲」です。

5人きょうだいの末っ子として生まれた遠藤さん。
空襲の夜は、出産から間もない母・律さんに背負われて、病院のベッドから逃げ出し、たどり着いた近くの神社でやけどを負いながらも生き延びました。

母が見た「この世の地獄」

母・律さんの体験談
「どこを見渡しても紅蓮の海。もうどこへも行けない。1か所だけ暗くなっていたのは平潟神社だった。情け容赦なく落ちる焼夷弾。『父ちゃん、母ちゃん』と胸をかきむしられるような悲鳴。赤ちゃんを抱いて火だるまになって死んでゆく親子。観念して手を合わせて焼けていく老人。まさにこの世の地獄だった」