戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。戦時中、兵器をつくるためにと金属を差し出すよう国民に呼びかけられました。鐘を供出し、今も戻ってこないという寺で育った90歳の女性は「戦争に勝つためだった」と振り返ります。

山本睦美さん(90)
「兵隊さんとお国のために『勝つ』ということ。嫌な気はしませんでした」

山口県岩国市で、250年の歴史を持つ浄専寺。住職の山本さんは、この寺で鐘をついたことがありません。

浄専寺 山本清文 住職
「終戦が(昭和)20年。19年あたりに供出したと」

1941年9月、国民に金属の供出を求める勅令が発せられました。金属回収令です。市民に配られたチラシには、鍋釜に至るまで、あらゆる金属を差し出すよう呼びかけられています。戦艦の建造や、武器製造のためにと、寺の鐘も対象となりました。

住職の母・睦美さんはこのとき9歳でした。

山本睦美さん
「それでアメリカが倒せるならとは思いました」

軍人だけでなく国民も戦争へと駆り立てられました。それは子どもたちも、例外ではありません。

比島決戦の歌
「いざ来いニミッツ、マッカーサー。出てくりゃ地獄へ逆落とし」
山本睦美さん
「なんかひどい。敵国とはいえ、私たちは学校で教育されましたから」

睦美さんも、日本の勝利を信じていました。まもなく寺は兵舎となり、戦争の現実を身近に感じます。

パイロットの顔が見えるほど戦闘機が低く飛んできたこともあったと言います。

山本睦美さん
「終戦になってもトラウマで、アメリカ兵が攻めてくる夢、防空壕に逃げ込む夢をしょっちゅう見ていた」

終戦から80年。人々の生活は戻りましたが、今もこの地域に鐘の音は響きません。

山本清文 住職
「安寧を願う鐘、そういうものをもたらす鐘が戦争の道具に使われる。本当に寂しい、つらい」

未だに繰り返される憎悪と敵意の応酬。

山本睦美さん
「相手を思いやったり、向こうが思いやったり、お互いが愛し合っていくこと」

人を思いやる心があれば戦争は止められる。睦美さんはそう、信じています。