戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。終戦の年、1945年6月17日の鹿児島大空襲では、2316人が亡くなりました。女学生のころ空襲を経験した95歳の女性は「戦争の記憶を次の世代に渡したい」と話します。
鹿児島県南九州市で暮らす佐藤普子さん(95)です。5人きょうだいの末っ子として生まれました。
佐藤普子さん
「(戦争が)始まるまでは平和だった。潜水艦に乗って、兄も真珠湾攻撃に行った」
保育士を夢見て、鹿児島市にあった鹿児島高等女学校に入学。しかし、戦況が悪化すると、授業は校庭に防空壕を掘る時間に変わりました。
佐藤普子さん
「最初は遠い国のことだと思っていたけど、だんだん近まってきて、日本でも戦争が始まるんじゃないか、ひどくなるんじゃないかと思った」
鹿児島市は終戦の年の1945年、8回の空襲を受け、3329人が犠牲となりました。中でも鹿児島大空襲、6月17日深夜の空襲では2316人が死亡しました。学校の宿舎で寝ていた佐藤さんは、突然の爆音に飛び起きました。
佐藤普子さん
「なんだろうとなっていたら爆弾が落ちていると。市内を学校から見たら火の手が上がっていた」
防空壕で一夜を明かし、目にしたのは変わり果てた街の姿です。
佐藤普子さん
「ここは死体でいっぱい。この川が(甲突川)。そのときの情景はもう地獄の絵。あんな絵だった」
この日、およそ80年ぶりに母校を訪れました。空襲で亡くなった教員と生徒33人の慰霊碑が建てられています。
佐藤普子さん
「未だにまだ生かさせていただいて、あなたたちの倍以上、生きた」
「今自分が生きていることがすまないような気もするし、ありがたいような気もする。そういう戦争体験でした」
鹿児島高校3年 浦上智子さん
「私たちの次の世代、そのまた次の世代にも戦争の記憶を伝えていくことが、これから大人になる私たちの義務だと感じた」
戦後、夢だった保育士になった佐藤さん。これまで戦争について子どもたちに話すことはほとんどありませんでしたが、去年から語り部としての活動を始めました。
佐藤普子さん
「(戦争を)繰り返したらいけないと、子どもたちによく植え込んでおかないと。もう次にバトンを渡さないと仕方ない。私が握っていてもだめでしょう」
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