今シーズン序盤は「迷走していた」

日本選手権のような身体的なアクシデントとは違うが、今シーズン序盤の泉谷も苦しんでいた。

走幅跳は3月の世界室内で8m21の4位と好成績を残したが、110mハードルは4月26日のダイヤモンドリーグ厦門が13秒39(追い風0.3m)の8位。5月3日のダイヤモンドリーグ上海紹興大会は出場をキャンセルして帰国した。「噛み合っていない状態でレースに出て大丈夫か、去年と同じ失敗を繰り返すことになってしまうかな、と判断しました」。

昨年はダイヤモンドリーグで2~3位に入り、記録も13秒1台を出していたが、技術的に噛み合わないと感じていた。一昨年のブダペスト世界陸上は5位に入賞したが、昨年のパリ五輪は準決勝を通過できなかった。

中国から帰国後にコーチも変更した。泉谷は順天堂大学時代は跳躍ブロックで練習を行っていたが、当時指導を受けた越川一紀氏に再びコーチを依頼した。だがすぐに結果は出ず、5月11日の中部実業団の試合(オープン参加)は13秒48(向かい風0.6m)だった。「技術的なものが噛み合っていなくて、何を改善したらいいんだろうと迷走していました」。昨年もそうだったが、技術的な問題が最後は、踏み切り位置が近くなる形になって現れていた。

最終的には日本選手権を欠場したが、走幅跳でも世界陸上代表を狙っていたことで、メンタル面には追い詰められなくて済んだ。「ハードルがダメだったら走幅跳をやればいい、と思っていました」。

ハードルの技術も徐々に噛み合い始めた。「最近になってやっと、インターバルを刻む意識や、力み過ぎないで1台から10台まで同じ動きが、できるようになってきました。踏み切り位置にマークを置いて、これ以上前で踏み切らない、リラックスしながらリラックスしすぎない、という練習を繰り返しました」。技術的な手応えはつかんで日本選手権に臨んでいた。

苦しんだ経験も全て東京世界陸上で結果を出す過程に

だが大会初日の予選と準決勝を、久しぶりに高いレベルの記録で2本走り、ふくらはぎに張りが出ていた。そして決勝前のウォーミングアップではっきりとした痛みになった。かなりの窮地ではあったが、前述のように乗りきることに成功した。

「冷静に走ることができたのがよかったと思います。今まで数多く海外を転戦して、場数を踏んできたことがこういうところに生きたかな。今まで噛み合わなかったことも、苦しんできた経験もすべて、世界陸上で良い結果を残すための過程になった、と言えるように一日一日、頑張りたいですね」

泉谷はまだ25歳だが、本人が言うように経験は多く積んできた。世界陸上は4回目の代表入り。大学2年時に代表になったドーハ大会は故障で欠場を余儀なくされたが、22年オレゴン大会は準決勝まで進み、23年ブダペスト大会は前述のように5位に入賞した。今年の地元東京大会は「メダルを目標に、1位になる気持ち」で取り組んでいる。

「でも、勝とうと意気込みすぎず、自分のレースをして、今回みたいにラストでスッと差せるような感じで走れたらいいな、と思っています」

4回目の世界陸上は、入賞した3回目のブダペスト大会よりも期待できる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)