◆《沖縄戦の犠牲となった尊い命…北海道出身者1万人以上も》

 沖縄戦での北海道出身の戦没者は1万808人。沖縄県に次ぐ2番目の多さです。

左手のフルート奏者 畠中秀幸さん(56)
「ちょっと後ろにいて…前には倒れないから」

14年前、突然の脳内出血によって右半身にマヒが残った畠中さん。障害を負った右半身と、そうではない左半身。違う部分だからこそ、認め合う大切さを知ったと言います。

左手のフルート奏者 畠中秀幸さん(56)
「次の世代の子たちたちに“こういう場所があるよ…”という歴史を踏まえたことを伝えるためには、伊江島の方にも慰霊したいし、伊江島の話を本土、北海道に持って帰れたら一番いいかなと思っています。がんばります」

畠中さんは音楽を通して、過去の戦争と今をつなぎ、平和を考える活動を続けています。

そして、沖縄と北海道をつなぐ慰霊の演奏会を、友人の美術家が企画しました。会場に選んだのは、沖縄県入江島にある戦争遺構の『公益質屋跡』です。

壁には、砲弾が撃ち込まれた衝撃で、大きな穴が数多く開いています。

村の建物が姿を消した伊江島で、原型を留めていたのが、当時は珍しかったコンクリート作りのこの場所でした。

◆《左手のフルート奏者…激戦の地で奏でる慰霊のメロディー》

 慰霊演奏当日の6月22日。畠中さんがフルートで奏でるのは、北海道の雪の景色をイメージした曲『雪の翼』。戦争で犠牲になった全ての人たちへ向けて、彼らが見ることの出来なかった雪景色を届けます。

慰霊の演奏には、反戦平和資料館『ヌチドゥタカラの家』の館長、謝花さんの姿もありました。

 演奏を聴いた沖縄本島の人
「失われた沖縄の、戦時中の本来あったはずの幸せを、これからの子どもたちが取り戻していけるような沖縄になっていけたらいいなと…」

『ヌチドゥタカラの家』館長 謝花悦子さん(86)
「犠牲になった木一本残さない戦場になった伊江島に、これから花が咲くような時代を作ってもらった…と、きょう朝から感謝しているところです。本当にありがとうございました」

畠中秀幸さん(56)「またお会いしましょう」

謝花悦子さん(86)「また会える日を楽しみにお待ちしております」

左手のフルート奏者 畠中秀幸さん(56)
「いろんな方々の思いがわっと入ってきて、それを踏まえて咀嚼して表現して、僕としてはそういう意味で楽しかった」

畠中さんは音楽を通し、戦争で犠牲になった死者と、今を生きる私たちを繋ぎ、平和な未来を訴え続けます。
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