9月開催の東京2025世界陸上の最重要選考競技会である日本選手権が、7月4~6日に東京・国立競技場で行われる。注目を集めるのが泉谷駿介(25、住友電工)の、男子110mハードルと走幅跳の2種目挑戦だ。日本選手権でこの2種目での2冠を達成すれば103年ぶりのこと。また、すでに標準記録を突破している110mハードルは、2位以内に入れば世界陸上代表に内定する。走幅跳も8m27の世界陸上参加標準記録を跳んで3位以内に入れば、同じく代表に内定する。この2種目で代表になれば、五輪&世界陸上を通じて史上初の快挙だ。前日(7月3日)会見で泉谷が、2種目への挑戦について語った。
前例のない挑戦に泉谷が踏み切った理由とは?
前日会見に出席した泉谷は、日本選手権の目標を次のように話した。
「まずはケガなく終えて、2種目で代表を勝ち取れるように頑張りたいです。記録はあまり気にしていませんが、優勝するには110mハードルでは13秒0~1台を出さないといけませんし、走幅跳では標準記録(8m27)突破を目標にしています」
110mハードルは13秒04の日本記録保持者で、23年世界陸上ブダペストでは5位に入賞した。走幅跳は8m21の日本歴代6位を持ち、今年3月の世界室内陸上では4位に入賞している。どちらの種目も世界トップレベルの選手ではあったが、同じ日本選手権で両種目に出場するのは初めての挑戦だ。
110mハードル(120ヤードハードルを含む)と走幅跳の2種目で日本選手権2冠を達成した選手は、1922年の下田貞晴(早大)1人しかいない。泉谷が2種目に勝てば103年ぶりの快挙になる。ちなみに女子では2005年に池田久美子(当時スズキ)が、100mハードルと走幅跳の2冠を達成したが、これも日本選手権史上1人だけだ。日本代表ということで言えば、ハードルと走幅跳の2種目で代表入りした選手は男女とも過去にいない。前例のない挑戦をする理由は何なのか。泉谷は昨年9月の全日本実業団陸上で走幅跳に優勝したときに、その理由を話していた。
「昔から2種目やりたい気持ちはずっとありました。(準決勝止まりだった)パリ五輪が終わってから、オリンピックが終わった(区切り)というのもあるので、自分に挑戦したい気持ちが強くなって、決めました。僕の良いところは色んな種目ができること。それを最大限に発揮して、自分の強さをアピールしたい」
前日会見で今大会に臨む精神状態を質問されると、「(2種目挑戦や代表選考など)色々とかかっている試合でいつも以上に気持ちが入っています。わくわく感もありながら緊張感もあり、非常に良い状態だと思っています」と、良い表情で答えた。
複数種目で活躍し、110mハードルで日本人初入賞を達成した実績
客観的に見れば2種目挑戦は珍しいが、泉谷の高校時代からの競技歴を見れば、驚くことではないのかもしれない。神奈川県武相高時代は八種競技がメイン種目で、インターハイは全国優勝した。当時も跳躍種目に出場していて、インターハイは三段跳でも3位。順天堂大学では跳躍ブロックで練習し、インターカレッジ(大学対校戦)は110mハードルと走幅跳、三段跳の3種目に出場していた。
大学で大きく伸びたのが110mハードルだった。2年時のゴールデングランプリ(以下GGP)では13秒26と、追い風2.9mで参考記録になったが(追い風2.0mまでが公認)13秒26と、当時の日本記録の13秒36を上回った。泉谷に金井大旺(当時ミズノ)と髙山峻野(30、ゼンリン)を加えた3人が、日本記録の応酬を見せた時代。泉谷が4年時には13秒06と、日本人初の13秒0台を出した。
国際大会はどうだったのか。大学2年時(19年)のドーハ世界陸上は代表入りしたが、ケガで出場することができなかった。4年時(21年)の東京五輪と、住友電工入社1年目(22年)の世界陸上オレゴンは準決勝まで進んだ。入社2年目の23年には日本選手権で13秒04と日本記録を更新。その年の世界陸上ブダペストは5位と、五輪&世界陸上を通じてこの種目日本人初の入賞をやってのけた。
住友電工入社後は毎年9月の全日本実業団陸上は走幅跳に出場。8m00(追い風0.3m)、8m10(向かい風0.4m)、8m14(追い風0.7m)と毎年自己記録を更新して3連勝中だ。そして今年3月の世界室内陸上で、前述のように8m21の日本歴代6位を跳んで4位に入賞した。
世間的には、いきなり走幅跳に挑戦したように見えるかもしれない。だがインカレの取材中には「橋岡に勝てるとしたら泉谷だ」という関係者の声を聞いてきた。19年のドーハ世界陸上に入賞した橋岡優輝(26、富士通)への期待は大きかったが、泉谷の跳躍選手としての評価も負けていなかった。ついに決断したか、という見方もできるのが泉谷という選手である。

















