ロシア語をひたすら書き続けた“切れ端”の山

私は「今でも覚えているロシア語は何ですか?」と尋ねたことがある。春男さんは「ヴァイナー(戦争)」と「プログレッシブ(捕虜)」と答えた。その二つの言葉が、戦後80年近く経過してもなお頭から離れないというのは、あまりにも不憫でならなかった。当時、ソ連兵が何度も口にしていた言葉であり、春男さんも強く意識していた言葉だったのだろう。

黒パンを分ける捕虜

いつしか、その即席ノートは束になっていった。周囲に悟られないよう、秘密裏に言葉を覚えていった春男さん。収容されている日本兵に見つかれば、裏切り者と罵られるかもしれない。ソ連兵に見つかれば、これまで書き記した貴重なノートを没収されるかもしれない。収容所に保管することもできず、春男さんはその切れ端を衣服の中に忍ばせた。束になり、山のようになったロシア語で埋め尽くされた切れ端を腕に巻き付け、その上から衣服を着ていたのである。

所蔵:舞鶴引揚記念館

覚えたロシア語が増えれば増えるほど、体に身につけるのは大変になったが、それはレッスンが順調に進んでいる証拠でもあった。周りの日本兵は、春男さんが夜な夜なロシア語を学んでいたことなど知らなかった。なぜなら、彼らは疲弊した身体を休息させるために睡眠を最優先していたからだ。

その日を何とか生き抜き、翌朝を迎えられるのかも分からない厳しいシベリアの環境下だったからこそ、誰もが迷わず眠ったし、それが命を繋ぐ最善手だったのだろう。しかし、春男さんは他の人とは違う「最善手」を考えていたのだ。同じように寝ていてはいけない、自分の睡眠時間を削ってでも、他の人が寝ている間に努力しようと。