能登半島地震で工場は更地に 「『兵どもが夢のあと』だよ」
かつて工場があった場所は公費解体で更地となり、いまは窯の骨組みだけが残っています。
丸和工業・石崎秀忠代表「寂しい感じはするね、『兵どもが夢のあと』だよ。何代も何人もここで働いていたからな」

これまで使ってきた珪藻土の採掘場は地震による落石で立ち入り禁止に。6月から新たな場所での切り出しをスタートさせました。
従業員・山本五十六さん「やっと切るのを再開できたのでそれはそれで嬉しい」
しかし、新たな採掘場はまだ地表に近いため珪藻土の質が安定せず、半分は商品にならないといいます。
従業員・山本五十六さん「今はどうしてもこの先とか自分で考えていかなくちゃいけなくなってくるので、そのあたりは楽しくもあるけど、ちょっと怖いところもある」

地震直後は、従業員のほとんどが自宅を失い市外へ避難しました。
七輪は、工程の大部分が手作業で行われる分業制ですが、仮設住宅が完成し従業員が徐々に珠洲に戻ってきたことで、1年以上滞っていた七輪づくりがようやく再開できました。