戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争が始まるおよそ2年前、議会で軍部を批判した政治家がいました。政治は戦争とどう向き合うべきなのか、今も問いかけています。
「戦争に対する国民の犠牲を歴代の政府は忘れている」
1940年2月2日。帝国議会の演壇に立った政治家・斎藤隆夫。この演説はのちに「反軍演説」と呼ばれることになります。斎藤の生まれ故郷・兵庫県豊岡市にその足跡が残されていました。
「斎藤隆夫が真ん中に映っています。私の祖父がちょうどここに映っています」
斎藤隆夫の兄のひ孫にあたる斎藤義規さん(74)。親族や地元の住民から「常に自分の信念を貫く政治家だった」と聞いていたといいます。
斎藤隆夫の兄のひ孫 斎藤義規さん
「戦争を否定した、戦争はよくないということを言ってきた人だということはずっと聞いてきました。そこで(軍部に声を上げるのは)自分しかないという思いがあったんじゃないか」
「反軍演説」の当時、日本は戦争への道を進み始めていました。1937年に始まった日中戦争は長期化。講和の見通しも立たぬまま、戦争を続ける政府に斎藤は声を上げたのです。
「国民に向かって犠牲を要求するばかりが政府の能事(なすべきこと)ではない。ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却(なおざりに)し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死しても、その罪を滅ぼすことは出来ない」
国民に犠牲を強いる「戦争」をやみくもに「聖戦」と呼ぶことを批判したこの演説に、軍部は「聖戦への冒とく」だと反発。政治家の多くも軍部に同調し、斎藤は議会を除名されました。しかし、国民の反応は違いました。
憲政記念館 岩間一樹さん
「こちらは斎藤隆夫の『反軍演説』の反響の手紙です」
「反軍演説」のあと、斎藤の元には激励や感謝の手紙が全国から700通以上届いたといいます。しかし、そんな斎藤の声もむなしく、政治は軍部の圧力に屈する形で戦争へと突き進みました。
「反軍演説」から85年。数少なくなった生前の斎藤を知る1人、坂本雄作さん(88)は「斎藤のことを後世も学ぶべき」と訴えます。
生前の斎藤隆夫を知る坂本雄作さん
「国民がどれだけ犠牲になっているか、演説で訴えて軍部を叱る。そんな政治家は今いませんよ。今こそ必要なんです」
戦争に立ち向かった政治家・斎藤隆夫。彼が残した言葉は、政治がなすべきことは何かを示し続けています。
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