原爆症に苦しみ…再起の中で選んだ写真

提供 髙田トシアキさん

失意のなか、戦後、静雄さんの体を原爆放射線が蝕んでいきます。一時は昏睡状態に陥ることもあったといいます。

原爆症の影響で、静雄さんは中国配電を退社。病床に伏せているとき、再起の道として選んだのが、写真でした。

寝たり起きたりを繰り返しながら、息子でトシアキさんの父、敏さんと二人三脚で写真を撮り続けました。

静雄さんの孫 高田トシアキさん
「慰霊碑の前で撮るのが彼のフォーマットだったので、海外から来た人とかを呼び止めて」

髙田トシアキさん提供

その中の一つ、「平和への道」と題された1枚。慰霊碑の前にいるのはアメリカ人夫婦。被爆から12年後に撮影されたこの写真に静雄さんのある思いが込められています。

「悪いのは戦争。戦争が原子爆弾を落としたわけで、アメリカの人が悪いわけじゃない。これからは日本人もアメリカ人も手を取り合って、次の平和へ向かって行くというメッセージを込めて一歩前に出てもらったそうです」

こうした考えは、静雄さんがオリンピアンだったことが根底にあるのではいかと、トシアキさんは話します。

「戦うときは競技なので、勝ち負けはあるけど、それが終わるとみんな仲間である。それがスポーツマンであると」

「スポーツマンシップ」(髙田トシアキさん提供)

広島県内の高校生の陸上大会で、足を負傷した選手に肩を貸すライバル選手。

「スポーツマンシップ」と題された写真には、「肩を貸すのも大事だし、肩を借りる勇気も大事だ」とコメント添えられていたといいます。