慰霊碑の前で手を組むアメリカ人夫婦。平和大通りで開かれたサーカス。負傷したライバルに肩を貸す選手…。広島市中区のギャラリー開かれている写真展では、戦後間もない広島の「日常」が納められた写真が並びます。撮影したのは、「砲丸王」と呼ばれ、広島で被爆した髙田静雄さん(1909~63年)です。1936年のベルリン五輪に出場したオリンピアンです。戦後は原爆症に苦しみながらも、シャッターを切り続けました。そこには「希望」が納められています。

髙田トシアキさん

「本人が使っていたカメラです。縦で撮るのが好きだったそうです」。写真展を開いた孫の髙田トシアキさんは、祖父が使っていたカメラを手に取ります。20年ほど前から、祖父が残したネガや関連する雑誌、記事を整理し、祖父の足跡をたどっています。

アメリカの選手と肩を組む髙田静雄さん(右)

「当時の世界記録保持者と当時の日本記録保持者」。そう言って見せてくれたのが、アメリカの選手と肩を組む静雄さんの写真です。

静雄さんは、日本記録を3度も塗り替え「砲丸王」とも呼ばれていました。そして、1936年のベルリン五輪に砲丸投げの選手として出場。しかし、そこで世界との差を目の当たりにし、引退を決意したといいます。

その後、いまの中国電力、中国配電に入社しました。