原爆に当時15歳だった長女を奪われ…

「自分が被爆したときはこうやって野良犬のように歩いていたっていうコメントが残っています」。そう言いながらトシアキさんが取り出したのは、原爆ドームをうろつく野良犬の写真です。
1945年8月6日。静雄さんは、爆心地から680メートルの場所にあった中国配電の本店にいました。左肩などを負傷したものの、同僚を助けるため壁をどけるなど救助活動を続けました。

当時、静雄さんは妻と3人の子どもと暮らしていました。しかし、広島女学院に通っていた長女の千鶴子さん(当時15歳)が行方不明に…。
「まずいなくなったことにすごく慌てて、探したらしいです」。
焦土と化した広島の街を、静雄さんは探し回りました。そして、1週間後、ようやく救護所にいた千鶴子さんを見つけました。

千鶴子さんは爆心地から約1.2キロ離れた広島女学院のグラウンドで被爆。市内を逃げ回り、治療を受けられると江波(現広島・中区)にあった救護所にたどり着いたといいます。
自宅で療養していましたが、8月24日、息を引き取りました。