新都知事誕生で「中止」か?「開催」か? 決定までの約2か月
そんな中、引退を表明した鈴木都知事に代わって、1995年(平成7年)4月9日「都市博中止」を公約にしていた前参院議員の青島幸男氏が、政党相乗りの官僚出身候補らを大差で破って初当選します。

当選から5日後の4月14日の記者会見では「やめるという方向になれば、金銭的損害、信頼・イメージの問題でご迷惑がかかることは重々承知しています。そこが逡巡するところですけども、このままの計画で進めていって都民に利益になることは一つもない。」と『都市博の中止という公約を変える意思はない』と改めて強調していました。
その数日後、4月20日に「まず現場を見てみたい」と青島氏が東京都側に案内を申し入れて国際展示場や清掃工場などを2時間かけて視察。「この完成度を見て、世界都市博中止の考えを改める必要があるかもしれないと思った」と発言し、一転して『都市博を中止する考えを見直す』ことを示唆しました。

しかしなんと次の日には記者会見を開き「中止見直し発言」を撤回!「できるだけ早く結論を出したい」と語りました。
一方で任期を終える鈴木氏は最後の記者会見に臨み「都市博をやめることはありえない」と述べて、青島氏を強く説得する考えを示しました。

4月24日に新都知事として初登庁した際の会見では「明確な理由がないと中止の決断は下せない」と、これまでより都市博中止に慎重姿勢を示します。
中止するのか、開催するのか…青島氏の発言に注目が集まります。

中止の決断をしたことを正式に発表の後も… ~揺れる青島氏
そして知事当選から17日目の4月26日。ついに青島新都知事は決断を下します。
「この1週間、悩みに悩んだが、私の信義を貫くということで中止の方向で考えていただきたい」と中止の決断をしたことを初めて明らかにしました。

もはやこれが最終決断かと思われましたが、なんとこの後も多数の都議会や集中審議での促進委員会との議論、推進派議員との論争に加え、5月18日には都議会本会議で100対23の圧倒的多数で都市博開催が可決されるなど…青島都知事は多数の試練に直面し、最終決定を指示することができません。

「都議会の民意」と「都知事選の民意」…どちらを尊重するべきか。苦慮する青島都知事。『民主主義を守りながら、自分の主張を遂げる』ことの難しさを当時の出演番組で語っています。

その後、開催促進派・反対派、双方との意見聴取会などを経てついに最終決定が下されます。
『今、公約を翻すことは民主主義の危機につながる』
5月31日の記者会見で青島都知事は「都議会の決議を尊重すべきか、中止の公約実現に踏み切るか熟慮した結果、『都市博は撤回』という公約を守ることが都民への政治的責任として優先されるべきと結論付けた。公約を翻すことは都民の期待を裏切り、民主主義の危機につながるとの危惧を抱いている。都市博構想がバブル最盛期の所産であり、社会経済状況から成功に危惧があることも中止決断の要素となった。」と話しました。

「都市博」はバブル崩壊の象徴? 臨海副都心のその後
こうして都市博は結果として中止となりました。この後も景気低迷が続く中、進出予定だった企業への補償や事業の後始末など問題は残りました。

しかし臨海副都心の開発計画自体は修正を加えながら継続され、放送局や商業施設、エンターテイメント施設などが次々とオープン。「お台場」と称され、東京を代表する観光スポットになりました。
世界都市博覧会の中止は、バブル経済期における壮大な構想が現実との乖離を示した象徴的な出来事であり、現代の都市開発及び公共事業の在り方に対する重要な教訓ともなりました。