震災の記憶が体から完全には抜けない—。6月14日で発生から17年を迎えた岩手・宮城内陸地震。被災地の宮城県栗原市花山地区と栗駒耕英地区では、自然の力で徐々に震災の痕跡が覆われつつあるが、住民の心には今も当時の記憶が残る。過疎・高齢化が進む中、新たな若い力も加わり始めた被災地の今を訪ねた。

「体から全部抜けてはいない」震災の記憶

2008年6月14日午前8時43分、岩手県内陸南部を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。栗原市や岩手県奥州市で震度6強、大崎市で震度6弱、仙台市でも震度5強を観測。17人が亡くなり、6人が行方不明となった。大規模な斜面崩壊や地滑りなど地盤災害も相次いだ。

宮城県栗原市花山の浅布地区在住の早坂絹子さんは、震災から17年が経過した現在の状況をこう語る。

早坂絹子さん:
「自然の力ってすごいですよね。木々が生えてきていますし、緑が爪痕を覆ってきています。ここが崩落したところだよねって言わなければ分からないような、それに近い状況になってきていますよね」

しかし、震災の恐怖は今も時折蘇るという。

早坂絹子さん:「ふっと、たまに蘇る時がありますよ。恐怖心は未だに体から全部抜けてはいない感じがしますね。398号線を大きい車が通る時の音や振動で、ガッっとなんか息が止まるような感じがする時があるんですよ」

地震直後、早坂さんの住む浅布地区は土砂崩れで道路が遮断され、ヘリコプターで花山の中心部に移動することになった。その後、慣れない避難所や仮設住宅での生活が続いた。自宅は一部破損の判定で公的支援がない中での苦悩を経て、2009年の秋に自宅を再建した。

早坂絹子さん:
「震災当時は自宅に戻ってきてからも、以前の私には戻っていないのは自分でも分かっていました。鳥のさえずり、風の香り、山の緑の濃淡を受け入れられるまでに10年ぐらいかかりました」

早坂さんは、2025年3月、20年勤めた介護施設を退職。現在は夫と2人で畑仕事の日々を送っている。

早坂絹子さん:
「春夏秋冬通して、野菜は自給自足ということを目標に今頑張っている最中です。とっても穏やかな気持ちで生活をしています」