弁護人から漏れた本音「よくある事故」遺族は「相手が守られすぎている」

翼さんの遺骨は、自宅の居間に保管されたままだ。翼さんの父親(64)は、涙ながらに話した。「まだ戒名もつけていない。こっちの世界で生きた時間があまりにも短すぎたので、『翼』として“上の世界”でも生きて欲しいんだ」。

1周忌の今年9月に納骨するつもりだったが「今の気持ちでは納骨できない」という。

事故当日に翼さんが履いていたズボンを見せてもらった。右ひざの部分が事故の衝撃で破れていた。母親(56)が買ってあげたズボンだった。

「仕事に行くときは、このズボンをいつも履いていた。お気に入りだったんだと思う」。

母親は、翼さんのピアスをネックレスに通して、肌身離さずつけている。

翼さんの死後、両親は翼さんの横顔を知ることになった。
両親は定期的に現場を訪れ、献花している。ある日、花束の隙間に置かれていた手紙を見つけた。翼さんの職場の同僚が書いたものだった。

「最初は怖そうだと思ったけど、忙しい時は残って手伝ってくれた。伊藤君の優しさはとても温かく、大好きだった」

母親は「家では仕事のことはあまり話すことはなかったけど、こうやって慕ってくれた仲間が心を痛めていることを知って、さらに悲しくなる」と話した。

2等兵曹側は、判決をどう受け止めたのか。
閉廷後、2等兵曹の弁護人に話しを聞いた。

判決への評価は避け「判決を受け入れるか、控訴するかは米軍と2等兵曹が決めることだ」とした。そのうえで「この事故はそこまで注目されるものなのか。1人が亡くなっているが、よくある事故じゃないか」と付け加えた。

判決から10日後の6月6日、両親は横須賀警察署を訪れ、翼さんのバイクを初めて見ることになった。

125ccの白いバイクの前方は、原形を留めておらず、事故の衝撃を物語っていた。
母親は、一輪の薄紅色のカーネーションを座席に供え、父親は翼さんが好きだった煙草を線香がわりに置いた。

その後、2人は翼さんが最後まで触れていたであろうアクセルを握り、そっと目を閉じた。

この日、両親は警察署だけでなく防衛省南関東防衛局の事務所を訪れ、横須賀市役所にも足を運んだ。3者に対し、実効性のある再発防止策を実施するよう申し入れを行った。いずれも「申し入れの内容を検討する」という趣旨の回答をしたという。

裁判は検察側と2等兵曹側の双方ともに控訴せず、執行猶予付きの判決が確定する見込みだ。そして、「米軍の方針」に従うと2等兵曹は間もなく米国本土に帰国する。

母親は「心の整理ができていないが、翼のためにできることをやっていきたい」と今の心境を語ったが、ぶつけようのない思いを抱えたままだ。

「あまりにも相手(2等兵曹)が守られすぎている」。

日米地位協定は1960年の締結以降、一度も改定されていない。

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岸将之
TBSテレビ 調査報道部特別報道班
東京・葛飾区出身。これまで所属した社会部では東京地検特捜部や裁判所などの取材を担当。その後、「報道特集」に所属し東京五輪での「弁当13万食廃棄問題」や、侵攻が始まった翌日からウクライナ・ベラルーシの両国で取材をした。 2024年7月から所属する特別報道班ではM&Aで中小企業が悪意ある買い手企業の被害に遭っている実態を取材。