武士の“たしなみ”から庶民の“芸能”へ…

やがて「能」は、武士のたしなみとして受け継がれていきますが、前田利家が開いた“加賀藩” 金沢では、町民にも能を奨励し、城中での演能にも出演することが許されていました。

また税の減免や苗字を名乗るなどの優遇措置もあったとみられ金沢は能の盛んな地域となりました。 よく「金沢の空から謡(うたい)が降ってくる」と耳にするそうですが、庭師や大工が作業をしながら謡を口ずさむので、能楽が暮らしに根付いていたなごりといえます。

加賀藩の支藩であった越中(富山)でも、結納・結婚式で当時の魚屋さんが裏方で謡う「鶴亀」や「高砂」の一節を耳にされた人もいるかもしれません。

富山では、大正時代に富山寶生会として発足、1935年(昭和10年)に創立した富山県宝生会は、終戦直後の混乱期に中断していた時期がありますが、現在も春の謡曲大会・秋の能楽大会を柱に謡曲講座や研修会を開催しています。

富山薪能は1981年(昭和56年)に第1回を富山県護国神社で開催して以降、富山大空襲の犠牲者を慰霊し「富山まつり」の前夜祭として毎年7月31日に開催しています。

富山県宝生会は、2025年(令和7年)に創立90年を迎えますが、年齢構成が高齢化していて次の世代の若者に能楽を引き継ぐことが緊急の課題であると、今後もユネスコの世界無形文化遺産である伝統文化 の“能楽”を後世に残すために普及・発展に努力して行くと述べています。