「これは……接待の海やな。常軌を逸している」

1997年10月末、熊﨑は東京地検検事正・石川達紘、次席検事・松尾邦弘に捜査内容を報告。このとき初めて、「接待」を「ワイロ」と認定し、大蔵官僚を立件するという方針が東京地検幹部に正式にオーソライズされた。

特捜部は、全国から応援検事を30人に増員し、検事総数を70人近くまで拡充。
過去の「リクルート事件」や「ゼネコン事件」を上回る、かつてない規模の捜査態勢が敷かれた。
応援検事たちは、東京地検の隣にある公正取引委員会や東京区検の建物に分かれて詰めることとなった。

「総会屋・一勧・野村事件」「大蔵省接待汚職事件」を指揮した特捜部長 熊﨑勝彦(24期)
「大蔵省接待汚職事件」を指揮した特捜部副部長 山本修三(28期)

「花の41年入省組」の大蔵省OBを逮捕

1998年の年明け間もない1月10日、11日の週末、特捜部は静岡県浜名湖・舘山寺温泉で恒例の「新年会」を開いた。
翌12日の夜には、予定通り「東京地検特捜部発足50年」の記念パーティーが、東京・霞ヶ関の法曹会館で開かれ、筆者も出席したが、現職の特捜検事の多くは顔だけ出してすぐに仕事に戻っていった。
実はこの舘山寺温泉の新年会は、最初に予定されてた17日、18日から「前倒し」されて行われていたのだ。
この日程変更の理由は、その後の動きによってすぐに明らかとなった。

正月気分がまだ残る1月18日、特捜部は大蔵省OBで「日本道路公団」理事に天下りしていた大蔵省元造幣局長のIを電撃的に逮捕した。
異例の日曜日の着手だったが、土曜日の段階で筆者らTBS司法記者クラブは、事前に情報を掴み、日本道路公団の家宅捜索に向けて中継クルーを配置し、予定原稿や事前に取材したVTR素材を準備していたため、想定内の動きだった。
筆者らは大蔵省OBであるIの逮捕を、大蔵省本体への捜査着手に向けた「前哨戦」と受け止めた。Iはかつて金融検査部長もつとめており「金融検査」の事情についても詳しく知る人物であった。

Iを知る大蔵省関係者は回想する

「大蔵省OBのIさんは東海財務局長のころ、家族を伊豆に連れて行くというので、地元の
金融機関に“クルーザーを用意しろ”と頼んでいた。その銀行の人は『クルーザーは人件費も込みで100万円位かかるよ』と苦笑しながら応じていた」

Iは、野村証券の副社長や日本興業銀行の常務らからゴルフや飲食の接待を受けていた。
金融機関の狙いは、日本道路公団が発行する「外債」の主幹事獲得だった。
野村のゴルフ接待は、送迎のハイヤープラス2万円程度のお土産付き、2年半で41回、「284万円」に上った。
これに対して日本興業銀行は、新規参入して主幹事を獲得した野村証券から、再び主幹事ポストを奪回して巻き返すため、Iに対して支出した接待総額は「150万円」に達した。
Iが野村、興銀など各金融機関から受けた接待総額は「約850万円」に上った。

大蔵省OBのIは、1966年にキャリア官僚として採用され、優秀な人材が揃ったと言われる「花の昭和41年組」のひとりだった。同期は22人、とりわけ「三羽烏」と呼ばれた武藤俊郎、長野庬士、中島義雄はトップグループと評された。

武藤敏郎は、大蔵接待汚職で官房長として捜査の矢面に立ったが、中央省庁再編で初代財務次官を務め、日銀副総裁を経て、東京オリンピック組織委員会の事務総長を務めた。
長野庬士は、証券局長として「山一證券破綻」の対応にあたったが、1998年に接待問題で減給処分を受けて退職した。その後、弁護士に転身し「西村あさひ法律事務所」でパートナーを務め、高額所得者番付のトップ10入りするなど実績を上げた。

中島義雄は、宮澤喜一の総理秘書官や主計局次長を歴任した大蔵省のエース官僚である。
中島は「将来の事務次官」と目されていたが、1995年に田谷廣明とともに「二信組事件」に関連して「イ・アイ・イ・インターナショナル」の高橋治則からの過剰接待を受けたとして
処分を受け、退官を余儀なくされた。
実はこのとき、東京地検特捜部の副部長として指揮を執っていた笠間治雄(26期)は「中島、田谷の“接待”について内偵捜査を進めていた」とされるが、最終的に立件されることはなかった。
ちなみに、その中島が秘書課企画官として採用を担当したのが、いわゆる「1982年入省組」である。
当時の大蔵大臣・渡辺美智雄(通称「ミッチー」)は、「これからの大蔵省には、単なるインテリではなく、面白みのある、多様な人材が必要だ」と述べ、型にはまらない学生の採用を促したとされる。

この「1982年入省組」は、くしくも大蔵省の不祥事と深く関わることになった人物が多い。
「大蔵省接待汚職事件」で有罪判決を受けた榊原隆、生保業界からの接待で処分を受けた佐藤誠一郎、テレビ朝日の記者に対するセクハラ行為が報じられた元事務次官・福田淳一、「森友・加計学園問題」で追及を受けた元国税庁長官・佐川宣寿など、いずれもメディアで大きく取り上げられた官僚たちである。

大蔵省OBが理事を務めていた「日本道路公団」への家宅捜索  1998年1月18日(東京・霞が関)

エリート官庁「大蔵省」への強制捜査

大蔵省OBの逮捕から約1週間後の1998年1月26日午後4時35分、特捜部はついに本丸の「大蔵省」への強制捜査に乗り出した。

当時、特捜部副部長だった山本はこう振り返る。