「特捜部としては、金融検査官が接待の事実を“先行自白”したと受け止めた。
大蔵省は“大した問題ではないと”見ていたようだが、行政の根幹に関わる金融検査において接待を受けるなどという事実は、見過ごすことはできない」

◼「捜査関係事項照会」の“14人接待リスト”
もちろん特捜部長の熊﨑、副部長の山本は、これまでバブル期の慣習ともなっていた大蔵官僚の「接待漬け」について、「単なる接待」だけで刑事責任を問うことは考えていなかった。
「接待」にプラスアルファの悪質性、応報性があるかどうかによって「事件を立てる」かどうかを判断する方針だった。
特捜部はこれまでの捜査から接待を受けていた大蔵省のキャリア、ノンキャリアの捜査対象を「12人」に絞り込み、実名を記載した上で、各銀行に対して「捜査関係事項照会」として送付した。これらの「12人」の大蔵官僚に関する銀行口座や取引情報など「個人情報」を提供するよう命じたのだ。
検察や警察は「刑事訴訟法第197条2項」を根拠に、企業などに対して「捜査に必要な個人情報」の提出を求める権限が認められている。
この「捜査関係事項照会」の情報は大蔵省の「12人」に日本銀行幹部「2人」を加えて、いわゆる“14人接待リスト“としてのちに一人歩きすることになる。
特捜部は“14人接待リスト“が銀行側から大蔵省に漏れるリスクも想定し、この中には「ダミーの大蔵官僚の名前」もあらかじめ紛れ込ませていた。
案の定、このリストはのちに大蔵省に伝わっていたことが明らかになる。
山本は、大蔵捜査班の班長である大鶴基成(32期)にこう指示した。
「主要20行の銀行のMOF担を呼び出して、『業務日誌』と『接待伝票』を任意で提出させてくれ。それと14人の大蔵官僚、日銀幹部の家族を含めた『銀行口座』のカネの出入り、『取引状況』を提出させるように頼む」
さらにこう念押しした。
「第一勧銀以外の銀行には、警戒感を与えないよう『第一勧銀捜査の参考にしたいので協力してほしい』と説明するように」
野村証券など証券会社からはすでに総会屋事件で資料を押収していたため、大鶴らは「主要大手銀行20社」の「MOF担」に絞って一斉に呼び出しを掛け、事情聴取した。
大蔵省のキャリア官僚は、東大出身者が多いため、銀行側もMOF担には、たいていは30代の東大出身者を配置していた。「銀行のCIA」と呼ばれる総合企画部に所属するエリート銀行員だ。
当時、第一勧銀のMOF担はTBSの取材にこう語っていた。
「1ヵ月に200万円の接待費を使うが、ほとんど相手は大蔵省。銀座、赤坂の高級クラブや料亭で飲食接待する。週に平均3回。休日はほとんどゴルフ接待だった」
「一日中、大蔵省に張り付き、許認可に関する工作や金融行政の動きを探った。
なかでも、金融検査の日程や対象支店を聞き出すために、検査官の妻の誕生日、酒や女性の好みまで調べた。もちろん、検査期間中も続けていた」(MOF担)
ただし、特捜部はMOF担については当初から「訴追対象外」としていた。
MOF担は会社の業務として接待に従事していたにすぎず、問題の本質は、絶大な権限を持つ大蔵官僚側の「たかり体質」にあると見ていたからだ。

大蔵官僚による悪質な「つけ回し」
大蔵官僚が受けていた接待は、庶民感覚からかけ離れていた。
飲食やゴルフはもちろん、銀座の高級クラブのホステスが客のもとへ出向く「特攻隊」や、「かもめ」と呼ばれるアルバイト芸者が相手を務める向島の料亭など、女性を伴う接待もバブル期以降、エスカレートしていた。
中でも、後に特捜部が家宅捜索を行った新宿・歌舞伎町の「ノーパンしゃぶしゃぶ店」は、多くの大蔵官僚がMOF担を誘って訪れる、一種の“ブーム”のような存在だった。
「ノーパンしゃぶしゃぶ店」については稿を改めて記したい。
大蔵官僚の接待金額は、5年間で「200万円」を超える例は珍しくなく、中には「1,000万円」単位に上る官僚もいた。特捜部がとりわけ「悪質」と判断したのが、「つけ回し」と呼ばれる行為である。
「つけ回し」とは、接待の場にMOF担が同席していなかったにもかかわらず、飲食費の請求書だけを銀行に回し、その費用を負担させる行為を指す。
特捜部にとって「立件価値」があると判断する明確な基準のひとつは、接待の回数や金額ではなく、大蔵官僚がこの「つけ回し」を行っていたかどうかだった。
MOF担の供述にはリアリティがあった。
「会計だけのために呼び出され、長時間待たされたこともあった。
ある夜10時頃、『話したいことがあるので、銀座の某クラブに来てほしい』と親しい大蔵官僚から電話があったので、指定された店に行くと、大蔵官僚が4人くらいいて、ホステスと盛り上がっていた。もちろん話などなかった。飲み代を支払わされただけだった」
「ある大蔵省の審議官は、よく大勢の部下を引き連れ、ステーキハウスやイタリアンレストランを利用していた。その利用した高級レストランの代金を、銀行に“つけ回し”することも普通だった」(MOF担)
1997年暮れ頃になると、「過剰接待」の実態が次第に明らかになってきた。
大鶴ら班長は年明け、それまでの捜査結果をもとに、それぞれの大蔵官僚が、過去5年間に受けていた接待実績を一覧表にまとめ、熊﨑に報告した。
その一覧表に記載された大蔵官僚の人数、接待回数、接待金額は、熊﨑の予想をはるかに上回る、「接待まみれ」の実態を示していた。
副部長の山本、班長の大鶴からの報告を聞いた熊﨑は、驚きを隠さなかった。