ついに誕生!絵本「アンパンマン」とアニメ化への道
中山:
そうして「アンパンマン」という絵本を1973年に出すのですが、売れ行きはそこそこという感じでした。
野村:
そこそこなんですね。
中山:
むしろ批判が多かったようです。「子供にあんぱんを食べさせる、自分の顔を食べさせて飛んで行って助けるなんて、完全にホラーだ」「これは何か問題があるのではないか」などと大人たちがバンバン文句を言っていたそうです。
しかし、70年代後半になると、やなせたかしさん自身も驚くほど、幼稚園などで「こんなに見られているのか」という状況になってきました。そして、ミュージカルにしようという動きが出てきます。そのミュージカルになって初めて、敵役が必要だということで「ばいきんまん」が出てくるんです。
野村:
そっか、最初の73年バージョンでは、ばいきんまんはまだいなかったんですね。
中山:
ばいきんまんがいなかったら、ここまでは売れなかったでしょうね。
でもこれもまだ前段階です。手塚治虫さんのお金でアニメを作り、『詩とメルヘン』の編集長をしながらアンパンマンの絵本も広げ、アンパンマンの絵本でミュージカルも作りました。でも、やなせさんの中では「僕は売れていない」という認識がずっとあったわけですよね。あの時は劇画ブームで、「ドラゴンボール」なども出てきたりする時代です。
野村:
もうそういう時期になるんですね。
中山:
なので、やなせさん的には「このぐらいで終わるのでは」という程度の手応えのようでした。そんななか、アニメ化の話が持ち上がります。そのアニメ化も日本テレビが手がけるのですが、実現までに2年ぐらいかかっているんですよね。色々なスポンサーから文句が来るんです。まず、「ばいきんまんを登場させるな」と。
野村:食品とバイキンだから、ということですか?
中山:
そうそう。食品メーカーとかパンメーカーが本当にスポンサーをしていたみたいで。「これを出すな」と言われたら、やなせさんはカンカンに怒って、「それならやりません」というようなことだったそうです。
こうして月曜日の夕方5時という、視聴率1~2%程度の「絶対に売れない」といわれていたような枠で放送が始まりました。すると、視聴率が7%ぐらいいって、嬉しい誤算に。1990年代に放送枠は金曜の朝10時ぐらいに変わっていくのですが、子どもが「アンパンマン」を見始めて、認知が広がっていきました。