「神様…」被爆した父の最期の言葉
講演は、熊本県立大学が、学生や一般市民に開放した授業として開かれました。参加した約180人の中には、息子の起裕さんや孫の姿もありました。

武子さんが、自らの体験を言葉にして180人へ届けます。
武子さん「臨終の時、父の顔に酸素マスクを当てていた私は『神様、私の家族をお守りください』という最期の言葉を聞き、涙が止まりませんでした」
戦後、父だけでなく母やきょうだい合わせた5人を被爆の後遺症によるがんで失った武子さん。自身も5年前、がんの手術を受けています。
「忘れることが戦争に近づくこと」
世界に目を向けると、去年12月には日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞に選ばれました。しかし各地で戦争や紛争が相次ぎ、ロシアやイスラエルなどが核兵器による威嚇を続ける中、被爆者は危機感を募らせています。
武子さん「無関心であること、人ごとと思うこと、忘れることが核兵器使用や戦争に近づくことだと思う」

証言が直接聞ける時間は残り少ないからこそ、核兵器が再び使われると熱線や爆風で一度にたくさんの命を奪うことはもちろん、その後、何十年も多くの人を放射線で苦しめる事実をしっかり聞いてほしい。そう、学生たちに伝えました。
熊本県立大学の1年生「私たちが、家族や身近な人に少しでも『こういう話を聞いた』という機会を設けることが大事なのかなと」
家族にとっても、武子さんの思いを引き継ぎたいと感じる時間となりました。
長男・起裕さん(59)「今後は母親が『伝えたい』と活動していることに、少しでもこたえることができれば」
孫(24)「祖母の姿を見たのは非常に堂々としているなと思ったし、こういう活動に力を入れているんだな、と伝わった」
武子さん「きょうは孫がいるから張り切ったのよ」

武子さんは今年も、熊本の小学校などで紙芝居などを通じて証言をしていくということです。