戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。空襲による家族の死や終戦後の抑留など、悲惨な戦争体験をした夫の思いを受け継ぎ、大分市に住む81歳の女性が絵画を通じて、平和の尊さを訴え続けています。

大分市の新井川久恵さん(81)が先月、開催した個展。並んだ10点の絵画には平和への願いが込められています。

新井川久恵さん
「戦争をやめてくれ、してはならないと祈って(描いた)。『本当に地獄だった』って。そういう話を私がこうやってお話しなければならない立場になった」

久恵さんの夫・勝さんは戦後50年が過ぎたころ、戦争体験を自分史としてまとめました。

新井川勝 「眼裏の満州」より
「自分自身の体験を正しく書き残しておくべきだと決心した」

勝さんは故郷大分への空襲で14歳だった弟を亡くし、終戦を迎えたのちも旧満州で中国の内戦に巻き込まれ、8年にわたり現地に抑留されました。

新井川勝さん(当時74)
「200人いた人間が4分の1に減った。戦争はものすごく悲しいもの。人間の命なんてチリやごみと同じように扱われる」

新井川勝 「眼裏の満州」より
「反射的に右手の人さし指は引き金を引いていた。黒い影はもうピクリとも動かなかった。平和な町の中で出会っていたとしたら、きっと仲のいい友人になれたに違いない」

勝さんの体験を聞いた久恵さんは戦地の様子を想像しながら、挿絵を描きました。

新井川久恵さん(当時57)
「満州の大陸の雰囲気は、私は全然風景を知らないので、描きながら身近に感じた」

勝さんは末期がんと宣告された後も自宅で個展を開くなどして、戦争の悲惨さを伝え続けていました。

新井川勝さん(当時86)
「せっかく縁があって命が救われた。このままむざむざと死んでしまっては申し訳ない」

夫の死から11年、久恵さんは今年も学徒動員の軍需工場で空襲の犠牲となった勝さんの弟たちを追悼し、伝え聞いた当時の様子を語ります。

新井川久恵さん
「バラバラに体がなって、大分川は地獄のようになっていたそう。こういうことを学んで、二度と戦争はしてほしくない」

命が尽きるまで懸命に生きた夫の思いを胸に、久恵さんは反戦の歩みを続けます。

新井川久恵さん
「『戦争は絶対してはならないから、それを皆さんにずっと伝えてくれ』と。背負って歩いています」