2005年4月25日、兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故では乗客106人が命を落としました。その中には大学に晴れて入学したばかりで、これからキャンパスライフを楽しみにしていたであろう男性もいました。男性の遺族は「なぜ大切な家族が」と問い続ける日々でした。未曽有の事故から20年が経った今も、その心の傷が癒えることはありません。悲惨な事故の記憶を受け継ぎどうバトンをつなぐのか。遺族たちの挑戦は続きます。
大学に向かう電車に乗り事故に

神戸市の上田弘志(70)さんと篤史さん(35)親子。次男の昌毅さん(当時18)は20年前に突然命を落としました。
2人は20年を前に仏壇を前に手を合わせながら、次のように話しました。
(弘志さん)「何言うたん?」
(篤史さん)「毎年言うてるけど、子どもらも大変やけど、元気にみんながんばってるよ。心配せんと安心して見守っていてねって」
(弘志さん)「あの顔から20年経ってるんやで。(生きていたら)もうすぐ40やで。考えられへんわ」
2005年4月25日、兵庫県尼崎市でスピードを出しすぎた快速電車がカーブを曲がり切れずに脱線。マンションに激突し運転士1人と乗客106人が死亡しました。昌毅さんは2両目に乗っていて亡くなりました。昌毅さんは大学に入学したばかりで、通学途中でした。