注目の人物にインタビューする「この人に聞く」です。

9日は運輸業や観光業など県内外でおよそ20社を展開するいわさきグループ。
その中核を担う岩崎産業の新たな社長に今月就任した岩崎貴光さんと、前社長である父・芳太郎さんです。大正、昭和、平成、令和と4つの時代を歩んでいる「100年企業」。今後の戦略を聞きました。

(岩崎産業 岩崎芳太郎会長)「自分の能力がどれだけあるのか。自分の責任感がどれだけ発揮できるかは本人次第」

(岩崎産業 岩崎貴光社長)「受け継いだものをそのままいいところは継承しないといけない。逆説的にそれを否定してオリジナリティーをつくらないといけない」

岩崎芳太郎さんとともに取材に応じる長男の貴光さん(39)。

今月、芳太郎さんは、岩崎グループの中核企業でホテル・観光事業を手がける岩崎産業の社長を退き、代表権を持った会長となりました。その芳太郎さんに代わって、岩崎産業などの社長に就いたのが、貴光さんです。東京理科大学を卒業後、岩崎産業に入社し、2016年から9年間、副社長を務めてきました。

(岩崎産業 岩崎芳太郎会長)「貴光社長は真面目。妙に反発するような人物がドラマで描かれるが、4代目として頑張っていかないといけないという自覚でこの歳まで来た。今後も頑張っていけると思う」

岩崎産業の創業はおよそ100年前の大正11年。芳太郎さんの祖父・岩崎與八郎さんが、前身の岩崎商店を興したのが始まりで、当時は木材加工の会社でした。

芳太郎さんの父・福三さんが2代目の社長を務め、交通・運輸事業を手がけるかたわら、ホテルやゴルフ場などリゾート開発にも乗り出し、グループ企業は最大78社に増えました。

芳太郎さんが福三さんから社長を引き継いだのは2002年。バブル崩壊後の経済低迷期にあって、「失われた30年」とも言われました。

(記者)「社長を務めた23年間は前年に同時多発テロが発生し、リーマンショックや東日本大震災、新型コロナと激動の期間だったと思うが、振り返ってみてどうか」

(岩崎芳太郎会長)「3代の中で私は経営環境的には一番ついていない経営者だった。時代や環境は選べるものじゃないから、それなりに甘受して、できることをやってきた」

かつて6000人だった社員は、今は2000人となり、グループの年間売上高も800億円から400億円に減少。時代の変化に対応した経営を進める中、23年ぶりとなる社長交代の決断でした。

(岩崎芳太郎会長)「逆風といういい経営環境ではない中で、早めに社長という責任を持たせ、岩崎グループにとっての逆境を切り開いていかせるべきではないか」

(岩崎産業の社長に就いた 岩崎貴光氏・39)「かなりキャラクターが濃い父だったので自分とはタイプが違う。『平時の時はまぁまぁだが、有事の時はまだまだだ』と父に言われたのをいまだに覚えている。いろいろな人間と対峙してきたところは見習うべきところも多い。」

人口減少に人手不足、燃料の高騰など、事業を取り巻く環境が大きく変化する時代。あらためて岩崎グループのあるべき姿とは。

(岩崎産業の会長に就いた 岩崎芳太郎氏・71)「地域が発展することで利益も最大化される。企業の社会的な責任も重要な一つの会社の存在意義。一つの真理じゃないかと思う。時代が変わっても」

そして父から息子に伝えたいことは。

(岩崎芳太郎会長)「本人が好きなことをやればいい。(従業員の)規模も2000人である必然性はない。1000人に減らしてもいい。今、引き継いだものを維持するとか。ナンセンスなつもりで社長を任せているつもりはない」

(記者)「Q.という言葉だが?」

(岩崎産業の社長に就いた 岩崎貴光氏・39)「精進する。まだ隣に父もいる。何をもって社長というかについては私自身の動き、考え方、結果に対してだと思う。精一杯、いろいろな人の意見を聞きながら精進したい」

次の時代を見据えた新たなかじ取り役の手腕が注目されます。