■出航から約4時間…ロシア政府から届いた正式回答
サハリン到着までの航海中にロシア政府からの正式回答が来なければ、「つがる」はコルサコフ港に入れず洋上で待機しなければならない。そのためにも、水や燃料が不足する心配がなく、長期停泊が可能な大型巡視船「つがる」が選ばれたのだった。
ロシア政府から正式な回答がもたらされるまでの航海中、政府関係者たちは気が気でなかったという。
果たして、出港から約4時間後(日本時間8日 午後5時ごろ)、航行中にロシア政府から正式回答がもたらされた。日付が変わる頃、約11時間かけてサハリン沖に到着した「つがる」は、朝までそこに停泊し、翌9日の現地時間午前9時30分頃、ロシア側のエスコート船に先導され、コルサコフ港に無事に入ることができた。

「つがる」は3人の遺体を乗せ、正午すぎには現地を離れた。「つがる」は台風11号の影響を受けることなく順調な航海を経て、翌10日朝、小樽港に戻ってきたのだった。
遺体が日本側に引き渡された9日、松野官房長官は記者会見で「遺体の発見から今日まで約4か月を要したが、なぜここまでかかったのか?」と問われ、「これまでのロシア側とのやり取りにおいて、日ロ関係の悪化が何かしらの障害になっているとは考えておらず、ロシア側とは適時適切にやりとりを行ってきた」と説明した。
しかし、返還までのプロセスを追ってみると、ロシアは遺体返還をウクライナ問題で自国を有利に導くための交渉カードに使うことはしなかったようだが、北方領土とウクライナの2つの政治問題が返還調整の節目節目に影を落とし、長期化を招いたと言えるだろう。ロシアとの交渉は何であれ時間がかかることが多いと言われるが、ウクライナ侵攻による日ロ関係の悪化がなければ、遺体はもっと早期に返還された可能性が高かったのではないか。
一方で、日ロ双方の政府や現場の関係者たちが手を尽くして調整にあたったことは確かだろう。返還を待っていた犠牲者家族たちの心情は察するに余りあるが、悪化した日ロ関係の中で、時間がかかっても遺体が家族たちの元に戻ったことは、両国間で人道的なモラルがまだ共有されている証として、一抹の安堵と希望を感じさせる。
(TBSテレビ社会部 黒川朋子)