国の経済成長を優先し被害を拡大させた水俣病の過ちを繰り返してほしくないと話します。

(水俣病患者 上田正幸さん・78)「誰もが暮らしやすい世の中。あの人が苦労するだろうという思いやり。(水銀を)流したら、あの人たちは苦労するだろうなと思えば流さない」

(水俣病患者 上田正幸さん・78)「まだ終わっていない、がんばらなければならない。私自身は手がしびれたり、頭がじんじんしたりするけども(水俣の景色から)そんなもの感じない」

「良い生活ができるようにしてほしい、こういう苦労を残さないで安全に暮らせるまちにしてほしい」

昭和の高度経済成長の陰で見過ごされ、その後も差別や線引きによって患者らが引き裂かれてきた日本の公害の原点、水俣病。公式確認から70年が近づく今もいまだ患者らが望む“解決”への道筋は見えていません。