◆記者
「戦時中は『食べ物が無い』のが、いちばん堪えましたか?」
◆松﨑淳子さん
「着る物は、なんとかあるわね。ただ、毎日、朝・昼・晩と食べないことには生きていけないから、それがいちばん問題じゃなかったろうか」

「食糧難」は当時を生きた人々にとって最も大きな問題で、それによる栄養不足で免疫力が低下し、結核などの伝染病で大勢の人々が命を落としました。

医療現場の人手不足を解消するため、終戦前年の1944年、女性が通う医療の学校「高知県立女子医学専門学校」の設立が認可されました。

この「高知女子医専」を松﨑さんも受験しました。当時、姉4人の夫と実の兄、つまり身内の若い男性全員が戦地へ行き、「女性が未亡人になるかもしれない」という危機感があり、母の「女性も手に職を」という勧めで、受験を決意したといいます。

そして松﨑さんは試験に合格。1945年7月に行われる予定だった入学式に臨むことになりましたが、そこで、まさかの事態に見舞われました。

◆松﨑淳子さん
「全国から1000人の受験生が高知市に集まってきていた。そしたら、ちょうどその日の晩が『高知大空襲』で…」