
あの「真珠湾攻撃」には、松﨑さんの同級生だった15歳の「ショウイチさん」も出征していました。そして…
◆松﨑淳子さん
「『ショウイチが死んだ!』って家の人が言うた。『あの優しいショウちゃんが…』って…。うちの家から3軒くらい離れたところの酒屋の息子やって、すごく優しい、かわいい男の子やったよ…」
日本軍が“戦果”を挙げた「真珠湾攻撃」。その直後、日本社会は喜びに沸きましたが、松﨑さんは15歳にして「同級生が戦死した」という現実を突き付けられたのです。
◆松﨑淳子さん
「『いや~!ショウちゃん、真珠湾で飛び込んじゅう!』って…。飛行機に、乗っちょったがやね…」
その後、太平洋戦争が激化するにつれ、戦況は悪化の一途をたどりました。人々の食生活にも、深刻な影響が出始めます。

◆松﨑淳子さん
「とたんに、食べる物が無くなった。海には『敵艦』がいるから漁業は全然ダメ。そして、その当時は『肉』なんて無いからね…。男は戦地に行っていて、年寄り・女・子どもしかいないから、田んぼを作るとなったら、ものすごい人手がいる」
◆松﨑淳子さん
「だから『お米』がなかったの。『お米』を節約するために『芋』を混ぜる。サツマイモを、いっぱい入れだしたね。本当に、お腹が空いていた」