松﨑さんは1926年(大正15年)4月28日、6人きょうだいの末っ子として、高知市に生まれました。“大正最後”の時代に生まれた松﨑さん。11歳になった1937年7月7日に「盧溝橋事件」が起き、日本は「日中戦争」へと突入していきます。

当時小学生だった松﨑さんも、「お国のため」に戦場へと向かう兵士たちを大声で見送る「軍国乙女」だったといいます。

◆松﨑淳子さん
「『兵隊さんよありがとう』」って歌わされたもん。出征していく兵隊を、本気で『万歳!万歳!』って見送りよったね」

そして1941年12月8日、日本軍が、アメリカ・ハワイにある太平洋艦隊の拠点を攻撃しました。「真珠湾攻撃」です。これをきっかけに日本は「太平洋戦争」へと突入していきました。

この時、松崎さんは15歳の中学生でした(旧制・高知県立第一高等女学校の3年時)。日本軍が「真珠湾攻撃」を行った時のことを、今でも鮮明に覚えているといいます。

◆松﨑淳子さん
「学校で『全員、運動場に集まれ!』」と言われて、日本軍が真珠湾を攻撃したラジオのニュースを、運動場に全員が集まって聞いたの。『あ、始まったんだな』って、そんな感じで…」

遠い、海の向こうのハワイで起きた出来事。松﨑さんは最初、そう受け止めていましたが、その後、衝撃の事実を知らされたのです。