NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第5回は原爆によって焼失した女学校にまつわる銘板です。

爆心地からわずか600メートル。浦上天主堂の丘の近くにある長崎信愛幼稚園。ここには80年前、シスターを目指す少女たちが通う「常清高等実践女学校」がありました。

園の正門のそばに、当時の状況を伝える銘板があります。

常清高等実践女学校は、校舎と付属施設6棟が倒壊し全焼。学校や動員先の工場などで生徒200人余りが亡くなりました。 姉を失った弟たちは、当時の壮絶な状況をこう振り返っています。

亡くなったシスター志願者 今村セツさんの弟・今村好春さん:
「亡くなった場所を探るけどほとんど何もなかった…。遺品も、死骸もわからなかったです」(2005年取材)

亡くなったシスター志願者 松下トクさんの弟・松下涼さん:
「水道管が体に巻きついて、そのうえにレンガが被ってきたと…。半身埋まっていたと…。助けてくれ…!と言われたけど、どうすることもできなかったと…。苦しかったろうと思います」(2005年取材)

女学校は、被爆後1945年9月に南山手で授業を再開しました。のちに現在地に戻り1951年には「長崎信愛女学校」と校名を変更、1955年に廃校しました。

学校に併設されていた幼稚園は「信愛幼稚園」に名前を変え、同じ場所で子供たちを育んでいます。園の中には被爆前の写真が大切に飾られています。

長崎信愛幼稚園・七田明子理事長:
「原爆前はこんな姿だった。今は変わってしまったけれどね。多くの人が犠牲になったということを忘れてはいけない。体験していない子どもたちに色んな意味で伝えていかなくてはいけないと思っています」

子どもたちが生きる未来が、これからも平和であるように。銘板は原爆の記憶とともに、この土地に立ち続けています。