『根こそぎ動員』 住民たちも戦争に駆り出されていった
(垣内沙耶記者)
「激しい戦闘が繰り広げられた伊江島で唯一残ったのがこちらの建物です。砲弾の跡が生々しく残り、その惨状を今に伝えています」

太平洋戦争の終盤、住民のおよそ半数が命を落とす過酷な地上戦の舞台となった伊江島。
「東洋一の規模の飛行場」と言われた伊江島飛行場が建設され、日本軍の重要な軍事拠点となっていました。
沖縄国際大学の秋山道宏准教授は、伊江島のおかれた状況を次のように説明します。
(沖縄国際大学 秋山道宏准教授)
「沖縄戦の中で伊江島はひとつの縮図と言われている。軍事的な拠点として、繰り返し、かなり大規模な空襲があったようです。4月の戦闘が始まってからは『根こそぎ動員』というふうに沖縄戦の特徴の呼び方では言うが、住民たちも戦争に駆り出されていった」


飛行場を占領し、本土攻略の足がかりにしたいアメリカ軍と、日本軍との間で6日間にわたって激しい戦闘が行われました。
島の小高い丘にある「芳魂之塔」には、島民と軍人がまつられています。
