「東洋一の軍港」として栄え

「もう賑やかだった。土日になるとお祭りみたい」。90歳の大之木精二さんです。80年前の呉市の町並みを懐かしみながら振り返ります。

大之木精二さん
「海軍の人も多いし、海軍工廠で働いている人も多くてね。土日は、みな楽しみに中通りに出るものだから、ものすごい人出だった」

当時、呉市の人口は最大で40万人。現在の倍にあたります。東洋一の軍港だったため、太平洋戦争中アメリカ軍の攻撃目標とされました。1945年3月19日から14回にわたり、空襲を受けました。

当初の攻撃対象は呉湾に碇泊していた海軍の艦艇や海軍工廠など軍の施設でした。その後、アメリカ軍は攻撃目標を呉市街地へと変更。1945年7月1日深夜から2日未明にかけて、焼夷弾による市街地への無差別攻撃が行われました。